近現代詩人といいましても、漢詩人のことです。これ以前の日本漢詩についてはこちらに所収
※「現代」は「現代日本漢詩集」(昭和四年・改造社)所収の詩人(おそらく井土霊山選)
※「十二家」は「十二家選・明治名詩鈔」(大正四年・鸚夢吟社)所収の詩人。
※「日本漢詩」は「日本漢詩擷英」(王福祥等1995北京・外語教学与研究出版社)所収の詩人。
※「集成」は「漢学者伝記集成」(竹林貫一編 昭和三年)により掲げた者。
※「明治漢文」は三浦叶先生「明治漢文学史」(1998汲古書院)に拠るもの。
※「明治詩話」は籾山季才著、明治二十八年(1895)刊の同書に拠るもの。
※「明治詩話」Uは木下彪著、昭和十八年(1943)刊(2015岩波文庫)に拠るもの。
大正天皇御製 「南洋諸島」 「皇后宮台臨」・「詠海」 五言絶句「山中詩」
青木雪窓 名・晋 伊勢のひと。「春雨」 (明治絶句)
秋月天放 名:新 豊前のひと。「知雨楼詩存」 (現代)
天田愚庵 名:久五郎 磐城・平のひと。嘉永七年(1854)生〜明治三十七年(1904)」没。戊辰戦争・台湾出兵に従事。清水次郎長養子、有栖川宮家従、山岡鉄舟門下を経て滴水禅師の下で出家し、京都伏見に愚庵を結ぶ。正岡子規の短歌に強い影響を与えた。(「明治漢詩文集」) 「愚庵即事」
石田東陵 名:羊一郎 宮城仙台のひと。慶應元年生。「大学説」 (現代)
磯野秋渚 名:惟秋(これあき) 少白山人 三重伊賀のひと。文久二年生。 (現代)
井土霊山 名:経重(つねしげ) 磐城相馬のひと。安政六年生。 (現代)
伊藤春畝 名:博文 長州のひと。「藤公詩存」 (現代)
岩渓裳川 名:晋 江戸のひと。安政二年生。 (現代)
巌谷一六 名:修 滋賀・水口のひと。「一六遺稿」 (現代)(十二家) 「酔中漫題」
大久保湘南 名:達(たつ) 佐渡相川のひと。明治37年「随鴎吟社」創立。「随鴎集」 (現代)(十二家) 「仙台客夜」 「鎌倉雑詩」
大槻磐渓 享和元年(1801)生、明治11年(1878)卒、仙台藩儒。奥羽越列藩同盟に奔走、戊辰戦争後終身禁固(後に釈放)。開国派の漢学者である。大槻玄沢の子で「大言海」の大槻文彦のおやじ。「宮城野」
大沼枕山 名:厚(あつし) 東京のひと。「枕山詩鈔」 (現代)
岡鹿門 :名:千仞、敬助 字:振衣 天保四(1833)生、仙台藩士。昌平黌に学び、重野成斎らと親交あり、大阪で私塾を開いて清河八郎らと結び尊王攘夷を唱う。後、仙台藩校「養賢堂」指南。奥羽越列藩同盟に反対して投獄、維新後、修史局等に出仕するが辞職、福澤諭吉の勧めにより愛宕に私塾・綏猷堂を開き、福本日南、尾崎紅葉、国分青涯らを教えた。晩年、大陸雄飛を論じて興亜会と関係。天保四(1833)生、大正三(1914)没。(「明治詩話」) 「塩釜途上」
岡崎春石 名:壮(そう) 東京のひと。明治元年生。 (現代)
岡田剣西 名:正之。富山のひと。東京帝大教授。「日本漢学史」を創む。(集成) 鮫洲海楼
岡本黄石 名:迪 近江のひと。 「黄村詩集」 (現代)(十二家)
小野湖山 名:長愿(ちょうがん) 滋賀・彦根のひと。文化十一年生〜明治43年。優遊吟社。「湖山近稿」 (現代) 「登鋸山」
落合東郭 名:為誠(いせい) 青桐居士、半九老人。肥後熊本のひと。慶應三年生。 (現代)
桂 湖村 名:祐孝(ゆうこう)、五十郎。越後のひと。 (現代)
川路龍泉 名:利良(としよし)。薩摩のひと。天保5(1834)生、明治12(1879)卒。警視庁大警視、陸軍少将。ジョゼフ=フーシェを学び近代警察を創始。「警察の父」といわれる。重野成斎に学び、鱸松塘の薫陶を受く。「龍泉遺稿」。詳しくは司馬遼太郎先生「翔ぶが如く」を参照のこと。 「急雨」
神波即山 名:桓、尾張のひと。永井禾山の師。「墨水櫂歌」(平成17年ごろの日録を見よ) (十二家) 「題画二首」(「明治漢詩文集」)
河上肇 明治十二(1879)生、昭和二十一(1846)没。京都帝国大学教授、経済学者。昭和八年より足掛け五年間下獄。出獄後の六十歳ごろから作詩をはじめたという。「河上肇詩集」等。「売国富論」 「有一日娯」 「春色」 「秋思」 (一海知義「河上肇詩注」(1977))
木蘇岐山 名:牧(ぼく) 冨山のひと。 (現代)
陸羯南 名:実。青森・弘前のひと。安政四年(1857)、津軽藩士・中田謙斎の次男として生、東奧義塾、宮城師範学校中退、明治九年司法省法学校に入学、原敬、国分青pらと同期。賄い征伐による退校処分後、青森新聞社に入り、陸家戸主となる。明治14年〜21年太政官文書局、憲法制度取調局員となるが、政府の方針を批判して退官、二十二年新聞「日本」を創刊。明治三十四年、近衛篤麿に従って清韓視察、三十六年欧州視察。明治四十年(1867)没。「間居雑感」 「吾心」 「大風行」 「古今三首」 「鮾魚歌」「羯南文録」(高松亨明「陸羯南詩通釈」(津軽書房昭和56))
久保天随 名:得二(とくじ) 東京のひと。 「秋碧吟盧詩鈔」 (現代)
幸徳秋水 名:傳次郎 高知のひと。明治四年(1871)生まれ、上京して中江兆民に師事し、萬朝報、平民新聞などで反政府、反体制的言論を展開。クロポトキン流の無政府主義に傾倒。明治44年(1911)、大逆事件に連座して刑死 「登牛舗即興」 「獄中雑吟」等 「偶成」 (中村及「幸徳秋水漢詩評釈」(高知市民図書館1978))
国分青p 名:高胤(たかたね) 仙台のひと。安政五年。(現代) 「青p詩存」 「泣無告」 「不可測」 国分青p・藤井竹外・花村蓑洲 芳野三絶
小室屈山 名:重弘(しげひろ) 栃木宇都宮のひと。 (現代)
阪本蘋園 名:金彡(さん)之助 尾張のひと。 (現代)
佐藤六石 名:寛(ひろし) 越後のひと。大正6年「随鴎吟社」主幹。「六石山房詩文鈔」 (現代)
佐野竹軒 名:玄庵 豊後のひと。頼山陽に詩を学び、一橋侯に医官として仕う。維新後、日野に流寓して売薬を営むという。明治13(1880)没。73歳。(明治詩話) 「七絶」
紫田小石 (不詳) 「琉球雑詩」
島地黙雷 天保九年(1838)周防生まれ、明治四十四年(1911)没。浄土真宗・本願寺派の僧として幕末の改革、廃仏毀釈の後始末、教法改革などに取り組む。岩倉使節団にも参加。「遊初島」
釈・種月 名:典明。(明治二百五十家絶句) 「災後偶感」
上 夢香 名:真行(しんこう)、楽静主人 山城のひと。嘉永四年生。 (現代) 「聞鵑」
末松青萍 名:謙澄(けんちょう) 豊後のひと。安政二年生。「青萍集」 (現代)
鱸(すずき)松塘 本姓:鈴木、名:元邦。東洋釣史、十髯叟、晴耕雨読斎などとも称す。安房・国府の人。文政六年(1823)生、明治三十一(1898)没。梁川星巌門にて小野湖山、大沼枕山とともに星門三高足に数えられ、特に星巌の詩を継いだ、と称される。明治3年浅草向柳原に居を定め、七曲吟社を起こした。「松塘小稿」「超海集」「香山遊集」「房山楼集」等あり、また「七曲吟社閨媛絶句」を編む。(明治漢文) 「新潟竹枝」 →関係者
副島蒼海 名:種臣 佐賀のひと。「蒼海遺稿」 (現代)(十二家)
高島九峯 名:張(ちょう)、張輔 長門萩のひと。弘化三年生。「九峯詩鈔」 (現代)
高野竹隠 名:清雄(きよお) 尾張名古屋のひと。 (現代)
瀧川菊浦 名:済 仲信 磐城菊田のひと。性、石を愛すという。岡鹿門に師事か。(明治詩話) 「春日偶成」
田邊松坡 名:正守(まさもり) 新之助 菱花山人 肥前唐津のひと。文久二年生。 (現代)
田邊碧堂 名:華(か)、為三郎 備中のひと。元治元年生。「碧堂絶句」「凌滄集」 (現代)
長 三洲 名:炗(こう) 豊後のひと。「三洲居士集」 (現代)(十二家)
土居香国 名:通余(つうよ) 土佐佐川のひと。「随鴎吟社」主幹。(現代)
土屋竹雨 名:久泰(きゅうたい) 山形鶴岡のひと。1887〜1958 「原爆行」
東海散士(柴四朗) 「費府」(「佳人之奇遇」より) 清・王韜訳「法国国歌」(「佳人之奇遇」所引、「明治詩話」Uによる)
徳富蘇峰 名:正敬(まさたか)、通称:猪一郎。肥後益城のひと。1863〜1957 「時事感懐」
長尾雨山 名:甲(こう) 石隠。讃岐高松のひと。元治元年生。 (現代)
永坂石埭 名:周、周二 尾張名古屋のひと。 (現代)
永井禾原 名:匡温、通称:久一郎、字:伯良、耐甫。来青山人とも号す。尾張名古屋の人。1852〜1913.詩は森春濤に学び、米国留学を経て文部省会計局長、日本郵船上海支店長などを歴任。「西遊詩稿」「来青閣詩集」など。随鷗吟社設立メンバー。鷲津毅堂の女婿。 「故里を過ぎる」 (擷英)
永井荷風 禾原の子。本名・壮吉。「断腸亭日乗」等。 「春日、懐いを書す」 「春日偶成」 「濹上春遊」其一 「夏日」絶句
成島柳北 江戸のひと。幕府儒官から蘭学を学んで騎兵頭となり、維新後訪欧を経てジャーナリストのハシリに。 「航西日乗」より 「清音河」
南摩羽峯 会津のひと。名・綱紀、文政六年(1823)生まれ、藩校日新館、幕府昌平黌で儒学、蘭学、洋学を学び、幕末には蝦夷地衛戌に従事、戊辰の際には京都藩邸詰め、鳥羽伏見の戦いの後、大阪から越後・米沢・庄内をめぐって列藩同盟に奔走、捕らわれて越後高田に禁錮、という数奇な前半生を送ったが、明治に入って釈放され、淀藩藩校に聘せられた後、太政官出仕、文部省を経て明治16年、東京帝大漢文学教授、明治21年高等師範学校教授、女子師範学校教授を務め、明治36年退職、42年(1909)卒。宮中御講書始でも二度進講。「彰義隊」
西岡宜軒 佐賀のひと。名・逾明、字・子学、明治に入り函館控訴院長、大審院判事。書家としても令名ありという。「桃花流水図」絶句
西村天囚 名:時彦、字:子駿、また碩園とも号す。大隅・種子島のひと、慶應元年〜大正十三年。郷里で前田豊山に学び、十四歳で島津侯に経書を講じ、十五歳で帝大に学ぶも官費生制度廃止とともに退学、文壇や大阪公論記者などを経て大阪朝日記者。この間、ウラジオストク、京城、チャイナに滞在し、海外特派記事を書く。大正に入って宮内省御用掛、京都帝大講師等を歴任。「長江舟中」
野口寧斎 名:弌(いち) 肥前のひと。「百花欄」 (現代)(十二家)
長谷川秋水 名:方省 長門のひと。「桃花流水」絶句
服部澹風 名:轍(てつ) 久米之丞 藍亭 尾張のひと。慶應三年生。明治八年「イ凧蘭吟社」、大正十年「雅声社」を興す。(現代)
福澤諭吉 三十一谷人(「世俗」の意)、負龍軒主人(「不料簡」の意)と称す。慶應義塾創設者。多数の漢詩、時事に材を採った狂詩を遺した。(富田正文「福澤諭吉の漢詩35講」による) 「田舎議員」「変梃来」 「才発・偏屈」 富田正文校訂「新訂 福翁自伝」にもいくつかあり 「綿糸縫瘃」
福井学圃 名:繁(はん) 東京のひと。「学圃遺稿」 (現代)
橋本蓉塘 名:寧(ねい)、字・静甫。 京都のひと。弘化二(1845)〜明治十七(1884)。西園寺公望の同学。「蓉塘詩鈔」 (現代)(十二家)(明治漢詩文) 「秋夜曲」
北條鴎所 名:直(ちょく) 東京のひと。 (現代)(十二家)
本田種竹 名:秀、幸之助 阿波徳島のひと。「田舎懐古詩」 (現代)(十二家)
向山黄村 名:栄 東京のひと。 「黄村詩集」 (現代)
森 鴎外 「蕎麦汁粉」
森 槐南 名:大来、泰二郎 尾張名古屋のひと。「槐南集」 (現代)(十二家)
森 春濤 名:魯直 尾張のひと。「春濤集」 (現代)(十二家)
森川竹磎 名:鍵、鍵三 東京のひと。「夢余稿」 (現代)
矢土錦山 名:勝之 三重松坂のひと。「錦山遺稿」 (現代)
結城蓄堂 名:琢 但馬のひと。明治元年生。大正七年「詩林社」創立。 (現代)
湯川清斎 名:新 紀州新宮のひと。斎藤拙堂、大塩中斎等門人という。(明治詩話) 「玉井洞詩」「詠紙鳶」
与謝野鉄幹 名:寛 丹後のひと。1873〜1935 明星主宰。 「若槻克堂」
「明治二百五十家絶句」・・・明治三十五年の編なり。岸上質軒編纂。
「大正五百家絶句」・・・大正十五年の編なり。校閲:国分青p、岩溪裳川 編者:土屋竹雨等。
大倉喜七郎 (台湾)
花橋居安 (蒲郡)
「昭和七百家絶句」
「語孟字義」(伊藤仁斎) 「孟子・天爵人爵」
「古学先生文集」(伊藤仁斎) 「神息有霊」
「先達遺事」(稲葉黙斎)より 「闇斎八九歳」
「漢学者伝記集成」(本朝・竹林貫一編) 「岡田剣西」
「道聴途説」(大郷信斎) 「大黒知時」
「省侃録」(佐久間象山) 「君子五楽」 「易侮之心」 「臨之以荘」 「漫述」詩
「講孟余話」(吉田松陰) 「五覇」 「以千里畏人」 「聖人与我同類」 「豪傑之士」 「瞽瞍殺人」 「大人弗爲」
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