平成23年10月30日(日) 目次へ 前回に戻る
あほです。みなさんが、ではないですよ。わしがです。
本日、昭和十三年、土屋竹雨ら編纂「昭和七百家絶句」(和書)を神保町で○万円使って買ってきてしまいました。ここに寄稿している700人の漢詩人のおっさんらの出身とか住所を分析すると何事かが知れるのではないか、何ごとかを人に教えることができるのではないか・・・と夢を見た。しかし、よく考えるとわたしが「分析」なんかするわけないし、よしんば教えることができたところで誰がわたしのことばを聞くことがあろうか。されば、書架さえないこの部屋で朽ちていくためだけにこの書は購われたということなのだ。
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まあいいや。とりあえず、元冊(四冊構成なので、「元・亨・利・貞」のナンバーがついている)を開きます。詩人が五十音順で並べられているらしい。このひとたちは、もう今は生きてないのだろうなあ。と思いつつ、紙を繰ってみる。
例えばこんなおやじ。絶対もう生きていないであろう。
石崎篁園 名・政。三重県人。関沢霞庵弟。今在東京、以文有名。
戊寅紀元節恭賦(つちのえ・とらの歳の紀元節の日。つつしんで作ったうた)
今年七十七春風、 今年、七十七の春風、
老後偏欣國運隆。 老後ひとえに欣(よろこ)ぶ國運の隆きを。
皇祖稜威誰不仰。 皇祖の稜威(みいつ)、だれか仰がざる、
心斎薫沐拝神宮。 心斎し薫沐して神宮を拝す。
今年でわしは七十七回目の春の風、
年とってからはとにかくうれしいぞ、我が國の國運がどんどん上がるのが。
今日は紀元節、天皇家の御先祖のすごい威厳を、仰ごうとしないひとがあろうか。
わしは心を清め、風呂へ入って香を焚きしめて、大神宮におまいりするぞ。
ということで、このひとは、昭和戊寅年(1938)の二月十一日に、七十七回目の春を迎えているわけですから、もしももしも今も生きていたら150歳である。そんなことはありえないから、このおやじはもう生きていないであろう。
それほど難しいことを言っているわけでもないし、難しい文字があれば飛ばして読んでしまえばいいので、なんとなく読んでいるにはおもしろいにはおもしろいのですが、こんな本、読んでてもいいのかな。TPP交渉にさえ参加するらしいこのご時世に。(前の持ち主がいい出来の詩には○を付けてくれているのですが、このひとも「う」で始まるひとのあたりまでしか読んでおられないようですし。)