無表情に見えるが火曜日でもう疲れているブタ。右上はサル。
やっと火曜日。もうムリ。コドモには限界か。
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今日、はじめて初代大警視(警視総監)・川路利良(天保五年(1834)〜明治十二年(1879))が鱸松塘(すずき・しょうとう)の弟子の漢詩人であったことを知りました。
川路が警視庁大警視をしていたころだと思いますが、
一片黒雲追短篷、 一片の黒雲、短篷を追い、
海天巻雨乍濛濛。 海天雨を巻き、たちまち濛濛。
一片の黒雲が小舟の後ろから進んできた―――
と見る間に、たちまち海と空を巻き込むような雨が視界をさえぎる。
疾風吹入縁山樹、 疾風、縁山の樹に吹き入り、
山上群鴉散晩風。 山上の群鴉、晩風に散る。
強い風がおれの棲む芝・増上寺の山の木にまで吹き込んで来て、
山上のカラスどもが、日暮れの風の中に散らばっていく。
「縁山」は「三縁山」のことで、芝・増上寺の山号である。当時、川路は芝に棲んでいたのであろう(その後、下谷に転居)。
萩の乱やら神風連やらやがて西南戦争が起こるのだ。その風雲をはらんで暮れ行く、明治のいまだ安からざるころの一日であった。
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「龍泉遺稿」より「急雨」。「龍泉」は川路の雅号である。
川路大警視は年中無休、毎日東京中の派出所を巡回して睡眠時間はほとんど無かった、という精力絶倫の仕事好きだったそうでちゅう。なんだか申し訳ないでちゅう。
ネットで拾ってきた写真。これにもほんとは著作権だか肖像権だかがあるのだろうなあ・・・。