平成22年6月26日(土)  目次へ  前回に戻る

今日は

・大阪しぐれ

・長崎は今日も雨だった

・ララバイ横須賀

の日本三大ご当地ソング(異論あるのは承知)を聴いて感動した。地霊(ゲニウス=ロキ)と結合した歌ごころは、地霊が生きてある限り、われらに働きかけるものである、ということじゃ。

以下の三篇の七絶も「ご当地ソング」の一種ですが、今もまだこの「当地」の地霊は生きてわれらに働きかけ、この詩人たちに与えたと同じ感動を興させることができるのであろうか。

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古陵松柏吼天飆、 古陵の松柏、天に吼えて飆(ひょう)とし、

山寺尋春春寂寥。 山寺に春を尋ぬるに春寂寥たり。

眉雪老僧時輟掃、 眉雪の老僧、時に掃くを輟(や)めて、

落花深処説南朝。 落花深き処、南朝を説く。

 古い御陵に植えられた松と柏は、びゅうびゅうと天に向かって吠え立てて、つむじ風を巻き起こしていやがる。

 吉野山は桜の名所と聴き、その山中の寺に春を訪ねてやってきたおれだが、この山の春はさびしげな春であった。

 雪のように白い眉毛の老僧がおれを見つけ、ときおり散りまがう桜の花びらを掃く手を止め、

 花びらの深く降り積もったこの庭で南朝の悲憤の歴史を講じてくれる―――今の世に容れられぬこのおれに。

藤井竹外(1807〜1866)「遊芳野」。竹外は摂津・高槻のひとである。

A

竹林投宿夜蕭蕭、 竹林に投宿するに夜蕭々、

旧院春寒魂欲消。 旧院春寒くして魂消えんと欲す。

猶有残僧来勧酒、 なお残僧の来たり酒を勧むる有りて、

雨窗剪燭話南朝。 雨窗に燭を剪(き)りて南朝を話す。

 吉野山中の竹林院に到着したときは、もう夜も更け、まったく静かであった。

 この古い院の中は、春というのに寒々としておれの魂はほそぼそと消えてしまいそうだった。

 夜深くにまだ起きていた宿直の僧がやってきて、おれに温めた酒を勧めてくれる。

 窗の外は雨になっているようだ―――僧は、山中のどこかにさまよっているおれの魂を呼び戻すため蝋燭の芯を切りながら、南朝のことを話しかけてくれる。おれの心が熱くなるように、というのだろう。

花村蓑洲( ?  〜1932)「遊芳野竹林院」。蓑洲は美濃のひとである(雅号は「蓑(みの)の洲」と洒落ているわけである)。それ以外あんまりよくわからない。

B

聞昔君王按剣崩。 聞く、昔、君王は剣を按じて崩ず、と。

時無李郭奈龍興。 時に李・郭無く、龍の興るもいかんせん。

南朝天地臣生晩、 南朝の天地、臣生ずること晩(おそ)く、

風雨空山謁御陵。 風雨の空山に御陵を謁す。

 おれは聞いた。いにしえ、真の帝王がこの地で剣を手にしたまま崩じたのだ、と。(注1)

 その時代には、李光弼も郭子儀もいなかったから、龍が大地から出てきたというのに、どうしようもなかったんだ、と。(注2)

 ここは、狭いながら真の君王の、南朝の領土だった。ところがおれは―――このおれと来たら最近ようやく生まれたもんだから、

 君王のために死ぬこともできず、風吹き雨降るこの御陵の前で、たったひとり空しく頭を垂れるばかりなのだ。

国分青(1857〜1944)「芳野懐古」。青高ヘ仙台のひと。近代漢詩のキョジンである。

(注1)「太平記」によれば延元四年(1339)八月十六日、後醍醐帝は、右手に剣を、左手に法華経を持ち、北の方・平安の都を望みならが崩じたという。

(注2)「李・郭」と並称される「李光弼」と「郭子儀」は、いずれも安史の乱に当たって唐の中興に尽くした名将である。

 

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