平成26年10月12日(日)  目次へ  前回に戻る

 

本日は高崎に来ております。高崎は桃郷(←お、こんな変換が出た)と違って、田舎だからなんでしょうけど、夜の空が暗い。暗い夜空を見ると、なんか大事なものを返してもらったような気持ちになります。(なりませんか?)

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今日は大都会を描いた七言絶句を読んでみましょう。

鉄欄橋畔夜無風。  鉄欄の橋畔に夜風無し。

 鉄の欄干をかけた橋のたもとに立っている。今宵は風が無い。

春の予感のする日であった。

夾岸万灯波亦紅。  岸を夾(はさ)むの万灯、波もまた紅なり。

 両岸には何万というほどの灯りがともされ、これを映して川の波もくれないに染まっている。

大都会なのである。

金像当頭烟忽散、  金像当頭、けむりはたちまちに散じ、

月輪輾上古王宮。  月輪輾上す、古王宮。

 銅像のあたまのあたりに立ち込めていた川霧がはれわたっていくと、

 大きな月が、古い宮殿の上にまるまると昇っていたのが見えた。

これは桃郷(←この変換気に入った)ではなく、仏蘭西の巴里の清音河のほとり、明治六年(1873)一月の作品でっちゅ。このころの桃郷はまだ「東亰」と書いてたころじゃないですかな。詩中の銅像(「金像」)は今も遺るアンリ四世像のこと、「古い王宮」はヴェルサイユの宮居をいうか。巴里行ったことないから知らんけど。でもみなさん巴里のことなんか知らないだろうから好き放題言ってもバレないと思われる。

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桃郷・成島柳北「航西日乗」より。

休日になると読書するのでいろいろ書きたいこと(要するに「ネタ」)出来たけど、旅の境遇にあれば手もとに資料を持ってきておらぬので、今日はここまで。明日? 明日のわしの精神状態がどうなっているのか、わしにもわかりませぬ。明後日は平日だから明後日は絶望の状態になっているのは確か。ああ、誰かと入れ替わってどこかに行ってしまおうか。

兄弟 とにかく歌は絶えたのだ

急がねばならぬぞ いよいよ

われら白き手の貧者は  (大木惇夫「十二月悲歌」より)

 

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