平成26年10月13日(月)  目次へ  前回に戻る

 

みなさん、こんにちは。さて、香港の民主化運動がなんやらかんやらしていますが、チャイナも古代の都市国家時代にはギリシャみたいな直接民主制があったんですよー。

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それが書物の中に遺されているのが「周礼」「小司寇」の職務についての記述です。「小司寇」は刑罰などを掌る大臣である「大司寇」の副官にあたりますが、

小司寇之職、掌外朝之政、以致万民而詢焉。

小司寇の職、外朝の政を掌り、以て万民を致して詢(と)う。

「外朝」というのは、王宮にある三つの門のうちの一番外にある「雉門」の外における「朝廷」のこと。雉門の外はまだ都市(「城」)の内ですが、群吏が職務をとる官衙地区ではありません。そこで開かれる自由民たちを交えた群議の場が「外朝」です。

小司寇の職務は、外朝における審議をつかさどる。ここによろずの人民どもを集めて諮詢するのである。

「外朝」はつねに開会されるわけではなく、次の三つのことについて審議せねばならないときにだけ開かれる。

一曰詢國危、二曰詢國遷、三曰詢立君。

一に曰く「國の危」、二に曰く「國の遷」、三に曰く「君を立つること」。

一つは「國が危くなりそうな判断をするとき」、二つ目は「國(都市国家)を移動させるかどうかの判断をするとき」、三つ目は「ルールから外れた形で君主を立てるとき」である。

注に拠れば

「國危」とは「有兵之寇」(兵の寇有る=戦争を起こす必要がある)ことをいう。

「國遷」とは「徙都改邑」(都を徙(うつ)し邑を改む=君主の居所を移し、市民の住所を替える)ことをいう。

「立君」とは「無冢適選于庶」(冢無く、庶より適選す=年長の跡継ぎがいないので、嫡子でない者から適切な者を選ぶ)ことをいう。

のだそうです。

この「外朝」のときは、雉門の外に

王南郷、三公及州長百姓北面、群臣西面、群吏東面。

王南に郷(むか)い、三公及び州長・百姓は北面し、群臣は西面し、群吏は東面す。

王は南の方を向いて(すなわち北側に)位し、三人の大臣と都市国家の行政長官、および人民たちは(南側に)北を向いて王と対面する。王の内廷の家臣たちは(東側に)西を向き、外廷の家臣たちは(西側に)東を向いて立つ。

そこにおもむろに小司寇が進み出で、

擯以叙進而問焉、以衆輔志而弊謀。

擯(ひん)して以て叙進して問い、衆を以て志を輔して謀を弊(や)む。

四方にそれぞれ拝礼をし、身分の低い者から順次にその考えを聴いていく。大衆の知恵によって王の判断の助けとし、これによって結論を出すのである。

このほか、刑罰を下すときにも民衆を集めて意見を聴くことがあります。陪審制の原型のようなものなのかな。

この「外朝」が、歴史時代に入ってから実際に行われた実例があります。それは・・・。

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また明日にいたしましょうね。ただし、明日は平日ですから、明日の夜も元気で迎えられたら、ですが・・・。(実は昨夜、高崎で前の肝冷斎と入れ替わったおれだが、誰も気づかないようだ・・・。)

 

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