平成26年6月1日(日)  目次へ  前回に戻る

 

また明日から一週間が・・・・・・ということを懼れて、肝冷童子が東北地方から帰ってきません!

とりあえず今日のところはこの肝稗斎がやりますじゃ。ああ、わしにしても月曜日が来るのはツラいのじゃが・・・。

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明治の漢詩。

星河在屋月在梧。  星河は屋に在り、月は梧にあり。

破壁醒風万骨枯。  破壁の醒風に万骨枯る。

 銀河は屋根にのしかかるかのようであり、月はあおぎりの枝のあたりにある。(深夜である。)

 破れた壁の間から、冷たい風が入り込んで来て、からだ中の骨がすべて乾ききってしまいそうだ。

左擁美人右持剣、  左には美人を擁し右に剣を持し、

叱咤斬断妖魔面。  叱咤して斬断す、妖魔の面。

 わたしは(妖魔から守るために)左の腕で美しいひとを抱きかかえ、右の手には剣を持つ。

 せまりくる妖魔の顔面を、はげしく叱りつけてながら真っ二つに切り裂くのだ。

というふうに、誰か怖ろしい月曜日の足音を、斬魔の剣もて退治してほしいところである。

ところが、

怪血如浪迸袍緋、  怪の血は浪のごとく袍の緋にほとばしり、

照見乱髪綴銀糸、  照らし見るに乱髪は銀の糸にて綴らる。

 魔物の血は波のようにほとばしり、妖魔の赤い上着をさらに赤く染めたが、

 (破魔の鏡で)照らし見れば、こやつの乱れた髪は実は銀の糸で作られていたのだ!

(どこかにまだ本体がいる!?)

うわー、これは強敵だー!

・・・と思いましたが、ここで

一呼夢覚人安在、  ひとたび呼びて夢覚めぬ、人いずくにか在る、

蹴枕起問夜何其。  枕を蹴りて起ちて問う、夜は何其(いかん)ぞ。

 大声で叫んだところで夢が覚めた。―――だが待て、あのひとはどこにいるのだ?

 枕を蹴り飛ばして起き上がり、声をあげて訊いた、「夜のようすはどうだ? どうなっているのだ!」

すべて夢だった、実はまだ金曜日の夜中でちたー! ・・・というオチでもいいのですが・・・。

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宇和島のひと中野逍遥「逍遥遺稿」(遺稿から「編纂委員」が編集したもの)より「斬魔詩」

読み下しは必ずしも「編纂委員会」の読み方に従わなかった。この詩は韻の踏み方とかおもしろいですね。「新体漢詩」とでもいうべきものを作ろうとしていたのでしょう。なお、「醒風」は「腥風」(なまぐさい不吉な風)の誤りではないかと思うのですが、しようがないので文字通りに訳してみました。

素朴なナショナリズム、個人の立身出世の夢、佳人との自由恋愛(への欲求)・・・まさに「坂の上」を目指している時代の青年の詩です。いわゆる「新体詩」が発明されるちょうどそのころ、漢詩によってそれらをうたいこもうとしていたのが逍遥子・中野重太郎。明治二十七年(1894)に夭逝す。追悼文を編纂委員の佐々木信綱や正岡子規、田岡嶺雲、大和田建樹らが書いている。これらがまた大時代がかっていて興趣つきないところ。

 

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