また明日から一週間が・・・・・・ということを懼れて、肝冷童子が東北地方から帰ってきません!
とりあえず今日のところはこの肝稗斎がやりますじゃ。ああ、わしにしても月曜日が来るのはツラいのじゃが・・・。
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明治の漢詩。
星河在屋月在梧。 星河は屋に在り、月は梧にあり。
破壁醒風万骨枯。 破壁の醒風に万骨枯る。
銀河は屋根にのしかかるかのようであり、月はあおぎりの枝のあたりにある。(深夜である。)
破れた壁の間から、冷たい風が入り込んで来て、からだ中の骨がすべて乾ききってしまいそうだ。
左擁美人右持剣、 左には美人を擁し右に剣を持し、
叱咤斬断妖魔面。 叱咤して斬断す、妖魔の面。
わたしは(妖魔から守るために)左の腕で美しいひとを抱きかかえ、右の手には剣を持つ。
せまりくる妖魔の顔面を、はげしく叱りつけてながら真っ二つに切り裂くのだ。
というふうに、誰か怖ろしい月曜日の足音を、斬魔の剣もて退治してほしいところである。
ところが、
怪血如浪迸袍緋、 怪の血は浪のごとく袍の緋にほとばしり、
照見乱髪綴銀糸、 照らし見るに乱髪は銀の糸にて綴らる。
魔物の血は波のようにほとばしり、妖魔の赤い上着をさらに赤く染めたが、
(破魔の鏡で)照らし見れば、こやつの乱れた髪は実は銀の糸で作られていたのだ!
(どこかにまだ本体がいる!?)
うわー、これは強敵だー!
・・・と思いましたが、ここで
一呼夢覚人安在、 ひとたび呼びて夢覚めぬ、人いずくにか在る、
蹴枕起問夜何其。 枕を蹴りて起ちて問う、夜は何其(いかん)ぞ。
大声で叫んだところで夢が覚めた。―――だが待て、あのひとはどこにいるのだ?
枕を蹴り飛ばして起き上がり、声をあげて訊いた、「夜のようすはどうだ? どうなっているのだ!」
すべて夢だった、実はまだ金曜日の夜中でちたー! ・・・というオチでもいいのですが・・・。
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宇和島のひと中野逍遥「逍遥遺稿」(遺稿から「編纂委員」が編集したもの)より「斬魔詩」。
読み下しは必ずしも「編纂委員会」の読み方に従わなかった。この詩は韻の踏み方とかおもしろいですね。「新体漢詩」とでもいうべきものを作ろうとしていたのでしょう。なお、「醒風」は「腥風」(なまぐさい不吉な風)の誤りではないかと思うのですが、しようがないので文字通りに訳してみました。
素朴なナショナリズム、個人の立身出世の夢、佳人との自由恋愛(への欲求)・・・まさに「坂の上」を目指している時代の青年の詩です。いわゆる「新体詩」が発明されるちょうどそのころ、漢詩によってそれらをうたいこもうとしていたのが逍遥子・中野重太郎。明治二十七年(1894)に夭逝す。追悼文を編纂委員の佐々木信綱や正岡子規、田岡嶺雲、大和田建樹らが書いている。これらがまた大時代がかっていて興趣つきないところ。