今日はそこそこ平和であった。しかし四日もハタラいたのに、まだ休みじゃないのかー。
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「明治詩話」でも読んで寝まっせ。
瀧川済、字は仲信、菊浦と号す。磐城・菊田郡のひと。
性酷愛石、所蓄以百数。
性はなはだ石を愛す。蓄うるところ百数を以てせり。
生まれつきにとにかく「石」が大好き。百以上の珍しい石をコレクトしていた。
ニンゲンは若年より年齢を重ねるにつれ、自分→他のニンゲン→ドウブツ(犬猫など)→植物(盆栽とか)→鉱物(石)と興味が移って行くものらしいですが、このひとは若いころから「石」が好きであったという。
嘗過勿来関、獲一奇石。見箭鏃射入其中者三。蓋数百年前物也。
かつて勿来関を過ぎるに、一奇石を獲たり。箭鏃のその中に射入せるを見ること、三。けだし数百年前の物なり。
かつて宮城県・利府のちかくの勿来(なこそ)の関を通ったとき、たいへん珍しい石を一つ拾った。その石は、中に、射こまれたと思しきヤジリが三つも入り込んでいたのである。ヤジリ自体は数百年以前のモノであろうと思われた。
岡鹿門(仙台藩士、天保四年(1833)生、早くから尊王攘夷を唱え、奥羽越列藩同盟に反対したので有名。明治期は芝に私塾を開く)がこの石を見て、
「うひゃあ」
と大いにびっくりし、
奇之、名曰飲羽石。
これを奇として、名づけて「飲羽石」と曰えり。
たいへん珍しがって、「矢羽を呑みこんだ石」と名付けてくれた。
さらに鹿門は、この石の不思議なのに感じ入って、古体詩一篇を贈ったということであり、菊浦先生はこの石を、まるで精巧な玉製装飾品を愛するように愛していた、という。
さて、先生の「春日偶成」(春の日、ちょちょいとできた)の詩にいう、
回頭世事百皆非、 世事を回頭するに百みな非、
不若悠然与俗違。 若かず、悠然として俗と違うに。
日午偶推窗牖望、 日午にたまたま窗牖(そうよう)を推して望めば、
真鳶翻避紙鳶飛。 真鳶翻りて紙鳶(しえん)を避けて飛ぶ。
「真鳶」は「ほんもののトビ」、要するに鳥のトビ。「紙鳶」はイカノボリのこと。いわゆる「タコ、タコあがれ」のタコ。
これまでのことをいろいろ顧みてみますに、何から何まで失敗続き。
どうやら世俗から離れて、ゆったりと生きていく方がよかったみたい。
今日の真昼間、たまたま窓の扉を開けて空を見上げたら、
ほんとうのトビはぐるぐると、紙のトビ(イカノボリ)を避けて飛んでいた。
真鳶、ほんとうのトビというのは世俗を捨てた自分のことを言っているのでしょう。紙製のニセモノのトビである俗物ども(例えばみなさんのような?)からは離れて生きていくのでしょう。
このひと、
亦妙于寄托。
また寄托に妙なり。
なかなか比喩が上手ではありませんか。
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おいらも世事を回頭するに百みな非なので、新しいシゴトでも考えないと。太平の世のうちに。
働く事は金持をつくる
貧乏な詩人よ 働かう! (ギイヨオム・アポリネエル「毛虫」(堀口大学訳))