平成22年10月31日(日) 目次へ 前回に戻る
時雨の季節となりましたなあ。
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崎門(山崎闇斎学派)の稲葉黙斎の「先達遺事」(崎門を中心に江戸時代の儒者たちのアネクドートを集めたもの)を入手したので読んでみました。
闇斎年八九歳、在仏堂看経、至夜半大笑。
闇斎年八九歳、仏堂にありて経を看るに、夜半に至りて大いに笑う。
闇斎がまだ八歳ぐらいのころ、(当時お寺に入れられていたのだが)お寺のお堂で、夜中までお経を読んでいた。
異常なほど研究熱心なことは子ども時代からのことであった。
夜半に至って、突然、ぎゃははと大笑いしはじめたのである。
師驚問汝何笑。
師、驚きて問う、「汝、何をか笑う」と。
深夜に大笑いしはじめたので、和尚さんが驚いて起き出してきて訊ねたのである。
「これ、おまえはなぜ大笑いしておるのじゃ?」
闇斎少年はにたにたしながら言うた。
釈迦説許大虚誕。
釈迦、許(こ)の大虚誕を説けり。
おシャカのやつが、あんまり大法螺を吹くので可笑しいのでござる。
と。
闇斎のおやじは洛中・下立売で医を営んでいたが、六七歳ごろの闇斎が
毎出堀河橋、持竿打行人脛、転水中以為戯。
つねに堀河橋に出でて、竿を持ちて行人の脛を打ち、水中に転じせしめて戯れと為す。
いっつも堀河橋のあたりに行って、手に竿を持って通行人のすねのところを叩くのだ。通行人が不意にすねを打たれて転び、水中に落ちてしまうのを楽しんでいたのである。
おやじはそれを見て、この子は悪たれである。このままではまともなひとにならん―――と考えて妙心寺に入れたのであった。
しかしながらお寺でも闇斎があんまりに狡賢く悪どいことをするので、とうとう
師欲放去。
師、放去せんと欲す。
和尚は追い出そうと考えた。
すると闇斎少年はそれを聞きつけ、和尚や兄弟子たちのいるところにずかずかと入り込んできた。
そして、言い放ったのである。
若爾、吾焼此堂塔。
もししからば、吾この堂塔を焼かん。
「ほんとうにそんなことしやがったら、おれはこの寺に火をつけて燃やしてやるぜ」
うひゃあ。
寺中震慄。
寺中震慄す。
寺中のひとは震えおののいた。
寺に入ってもまともにはならなかったのである。
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まだまだ儒学に目覚めるには時間がかかりますが、以下略。以下を知りたければ「先達遺事」を読むか、肝冷斎に「もっと教えてくだされ」と頭を下げることですな。みなさん、頭を下げることはあまりお得意でないようじゃがな、ふほほ。ちなみに「先達遺事」には明和四年(1767)秋九月の稲葉黙斎の跋があります。旧暦の九月は、もう秋も終わり近いちょうど今頃の季節である。