十五世紀のことです。北條早雲と同時代ぐらいかな。
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・・・わしのいとこの滕文用は江蘇の錫山(現在では無錫市の中に含まれている)の旧族の出である。しかし、その父祖の代から家業は振るわず、屋敷を除いて田畑のほとんどを売り尽くし、文用は
為人訓蒙以糊口。
人のために蒙を訓(おし)えて以て口に糊す。
他人の家に住み込みで家塾の子どもたちを教えて、何とかメシを食っていた。
「糊口」とは、口を糊付け(して何も食べなく)する、のではなく、なんとか糊(おカユ)を口に入れるような生活をする、ということです。
それでも、旧族の跡取りであるから節句ごとに休暇をとって家に帰り、廟でのご先祖さまの祀りだけは絶やさなかった。
ところが文用が住み込みの訓蒙をはじめてしばらくした成化丁未年(1487)のころから、
毎節仮帰、有鬼輟罵不已。
毎節に仮帰するに、鬼ありて輟罵して已まず。
節句ごとに短期間帰宅するたび、その家に妖霊があらわれて罵声を浴びせ続け、止めようとしないのである。
姿は見えない。ただ、罵声を上げつづけるだけだ。
其声如婦人、文用入戸声在外、文用出戸声在内、夜間尤甚。
その声は婦人の如く、文用の入戸するや声外にあり、文用の出戸するや声内にあり、夜間もっとも甚だし。
その声はおんなの声のように聞こえる。文用が帰宅してカギを開け、室内に入ると屋外から罵声が聞こえ、屋外に出ると室内から聞こえるのである。夜中がもっともうるさい。
近在のひとに聞いてみるが、文用がいないときにはそのような声はまったく聴こえないという。
以来三年ほどの間、帰宅ごとに罵声は絶えることがない。
この夏の節句にはわしも招かれて訪れてみたが、文用と一緒に普段は締め切っている堂室に座しているときなど、
「ほら。聴こえるだろう?」
と言われて耳を澄ましてみると、確かにそれほどはっきりとではないが女の声で怒鳴っているような物音が聞こえる。
文用は、
祖父厭其不振而致是歟。
祖父のその不振を厭いてこれを致すか。
「ご先祖さまたちが、家業の振るわないのをお叱りになってこんなことをなさるのかねえ。」
と首をひねっていたが、それなら家業の傾いた祖父の代あたりから化けて出ていそうなものである。
別有所祟歟。
別に祟るところあるか。
「別の事情があって妖かしのものが祟っているのではなかろうか。」
とわしは言うた。言うたものの、
不可暁也。
暁らかにすべからざるなり。
実はよくわからんのである。
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よくわからんままですが、そこがいかにも誠実でホントっぽいではありませんか。明・江蘇長洲のひと、夢蘇道人・王リ(字・元禹)の「寓圃雑記」巻八より。