平成29年10月17日(火)  目次へ  前回に戻る

眠い。明日こそは睡眠時無呼吸症候群の治療に行く。行きます。眠いけど。

今日も飲み会あって会場でひと眠り。毎日眠くて眠っているのであんまり世の中の動きがわからなくなってきております。

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まあ、いいや。世の中の動きがどうなろうとも、

吾心堅如金、 吾が心は堅きこと金の如く、

吾心淡如水。 吾が心は淡きこと水の如し。

 おいらの心は、金属のように堅固であり、その一方で、

 おいらの心は、水のように淡白である。

こうありたいものです。

富貴豈可求、 富貴はあに求むるべけんや、

危難当有死。 危難はまさに死するあるべし。

 富貴は求めるべきものではないであろう。そして、

 危難に当たっては死ぬべきときに死なねばならないのだ。

ここまではいいのですが、

唯願一片名、 ただ願う、一片の名の

留在千載史。 千載の史に留むる在らん

 ただ願うのは、おいらのちっぽけな名前が

 千年の歴史の本に載ることばかりである。

どうもここは賛成しません。明治の人らしい功名心にあふれたうたです。

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陸羯南「吾心」「羯南文録」より)。

「羯南文録」はこの一詩と、

神ますと仰ぎまつれば増鏡吾が真心の影にさりける

(神さまがそこに宿っておみえだと仰ぎ祀っている真澄(ます)鏡。そこに映っているのは、おいらの真心の姿でありますよ。)

真弓にも征矢(そや)にもかへてとる筆のあとにや我は引き返すべき

(おいらは明治のニンゲンなので、戦闘用の弓や矢を使うことはないが、それに替えて戦いの道具として筆を用いている。その筆で書いた文字のあと―――おいらはもう、あとには引き下がらないのだぜ)

の二首を巻頭に掲げているのでございます。(これは編纂者の豹軒・鈴木虎雄(京都大学教授・漢文学者、羯南の女婿)の編集だそうです。)

御立派でございますね。ぶー。(眠くて何言っているか自分でもわからなくなってむにゃむにゃ)

 

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