「春になると冬眠から起きなければならなくなるので、イヤだおー」
一日がんばったがまだ月曜日が終わっただけ。おいらも冬眠していたい。
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さて、では昨日の答え合わせをいたちまーちゅ。
答えは、
さんでしたー。
幸徳秋水の漢詩は今遺るもの百首余りということですが、当時から「上手い」と評判だったのだそうです。また、明治のこのころのひとの常として、感情を表現するのに、新体詩や短歌よりも漢詩の方が「使いやすい」一面があって、生涯の重要な場で佳作をものしておられる。
明治四十三年(1910)大逆事件で市ヶ谷監獄に収監された後、郷里の母親あてに―――
鳩烏喚晴煙樹昏、 鳩烏晴を喚ぶも煙樹昏く、
愁聴点滴欲消魂。 愁いて点滴を聴き、魂を消さんとす。
風風雨雨家山夕、 風々雨々、家山の夕べ、
七十阿孃泣倚門。 七十の阿孃、泣きて門に倚らん。
ハトやカラスが鳴くと晴れるものだが、煙るような雨の中に樹々は暗く、
雨だれの音を聴くと、たましいが消え去るかと思うほど寂しい。
なぜなら、風が吹けば風に、雨が降れば雨に(思い出す)ふるさとの夕暮れ時、
七十歳のおっかさんが、門にもたれて、おいらの帰りを待って泣いているだろうから。
こういう感情を表現するのに、この世代のひとは漢詩を使ったんです。
おっかさんは、(幸か不幸か)息子・秋水の死の前、この年の暮れに逝去した。
翌四十四年正月元旦、母の死を聞いて「偶成」(たまたま成る)、
獄裡泣居先妣喪、 獄裡、先妣の喪に泣居し、
何知四海入新陽。 何ぞ知らん、四海の新陽に入りしを。
昨宵蕎麦今朝餅、 昨宵の蕎麦、今朝の餅、
添得罪人愁緒長。 添え得たり、罪人の愁緒の長きを。
獄中で、おっかさんの亡くなったのを聞いて、すわったまま泣いている。
世界が新しい年に入った、なんてことはどうでもいいことだ。
ゆうべは年越しでソバが出た。今朝は年明けでモチが出た。
それらの心遣いさえ、この囚人の悲しみの魂のひもを長くするだけだ。
そうかあ、ソバとモチ食ったんか。
正月十八日、死刑判決。同二十四日、死刑執行。
十八日の判決直後に、看守(菅野丈右衛門氏と伝わる)の乞いに応じて揮毫したという絶筆「獄中雑吟」―――
区区成敗且休論、 区区の成敗はしばらく論ずるを休(や)めよ、
千古惟応意気存。 千古、惟(ただ)まさに意気存すべし。
如是而生如是死、 かくの如くして生き、かくの如く死し、
罪人又覚布衣尊。 罪人また覚ゆ、布衣の尊きを。
ちっぽけな成功だの失敗だのはもう問題にするのはやめよう。
いにしえより今に至るまで、大切なのは意気の存在だ。
このように生きて、このように死んでいく。
罪人のわたしだが、人民であることの尊貴を誇りに思う。
これは立派な詩ですね。
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秋水はこれともう一首の詩を看守に与えたそうであるが、もう一首の方は関東大震災の際に灰燼に帰した。残ったこの詩は、大逆事件に連座して死刑を無期に恩赦せられた一人、坂本清馬(※)が譲り受け、秘蔵して今に至ったものだ、という(中島及「幸徳秋水漢詩評釈」(1978高知市民図書館刊)に拠る)。
※坂本清馬は明治十八年(1885)生、昭和五十年(1975)没、高知県室戸市生まれ、大逆事件に連座して死刑、恩赦により無期懲役、昭和九年仮出所(この時点で唯一の生き残り)、戦後、最高裁に再審請求を行った(→棄却)。