平成28年2月22日(月)  目次へ  前回に戻る

「春になると冬眠から起きなければならなくなるので、イヤだおー」

一日がんばったがまだ月曜日が終わっただけ。おいらも冬眠していたい。

・・・・・・・・・・・・・・

さて、では昨日の答え合わせをいたちまーちゅ。

答えは、

秋水・幸徳傳次郎

さんでしたー。

幸徳秋水の漢詩は今遺るもの百首余りということですが、当時から「上手い」と評判だったのだそうです。また、明治のこのころのひとの常として、感情を表現するのに、新体詩や短歌よりも漢詩の方が「使いやすい」一面があって、生涯の重要な場で佳作をものしておられる。

明治四十三年(1910)大逆事件で市ヶ谷監獄に収監された後、郷里の母親あてに―――

鳩烏喚晴煙樹昏、 鳩烏晴を喚ぶも煙樹昏く、

愁聴点滴欲消魂。 愁いて点滴を聴き、魂を消さんとす。

風風雨雨家山夕、 風々雨々、家山の夕べ、

七十阿孃泣倚門。 七十の阿孃、泣きて門に倚らん。

 ハトやカラスが鳴くと晴れるものだが、煙るような雨の中に樹々は暗く、

 雨だれの音を聴くと、たましいが消え去るかと思うほど寂しい。

 なぜなら、風が吹けば風に、雨が降れば雨に(思い出す)ふるさとの夕暮れ時、

七十歳のおっかさんが、門にもたれて、おいらの帰りを待って泣いているだろうから。

こういう感情を表現するのに、この世代のひとは漢詩を使ったんです。

おっかさんは、(幸か不幸か)息子・秋水の死の前、この年の暮れに逝去した。

翌四十四年正月元旦、母の死を聞いて「偶成」(たまたま成る)、

獄裡泣居先妣喪、 獄裡、先妣の喪に泣居し、

何知四海入新陽。 何ぞ知らん、四海の新陽に入りしを。

昨宵蕎麦今朝餅、 昨宵の蕎麦、今朝の餅、

添得罪人愁緒長。 添え得たり、罪人の愁緒の長きを。

 獄中で、おっかさんの亡くなったのを聞いて、すわったまま泣いている。

 世界が新しい年に入った、なんてことはどうでもいいことだ。

 ゆうべは年越しでソバが出た。今朝は年明けでモチが出た。

 それらの心遣いさえ、この囚人の悲しみの魂のひもを長くするだけだ。

そうかあ、ソバとモチ食ったんか。

正月十八日、死刑判決。同二十四日、死刑執行。

十八日の判決直後に、看守(菅野丈右衛門氏と伝わる)の乞いに応じて揮毫したという絶筆「獄中雑吟」―――

区区成敗且休論、 区区の成敗はしばらく論ずるを休(や)めよ、

千古惟応意気存。 千古、惟(ただ)まさに意気存すべし。

如是而生如是死、 かくの如くして生き、かくの如く死し、

罪人又覚布衣尊。 罪人また覚ゆ、布衣の尊きを。

 ちっぽけな成功だの失敗だのはもう問題にするのはやめよう。

 いにしえより今に至るまで、大切なのは意気の存在だ。

 このように生きて、このように死んでいく。

 罪人のわたしだが、人民であることの尊貴を誇りに思う。

これは立派な詩ですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・

秋水はこれともう一首の詩を看守に与えたそうであるが、もう一首の方は関東大震災の際に灰燼に帰した。残ったこの詩は、大逆事件に連座して死刑を無期に恩赦せられた一人、坂本清馬(※)が譲り受け、秘蔵して今に至ったものだ、という(中島及「幸徳秋水漢詩評釈」(1978高知市民図書館刊)に拠る)。

※坂本清馬は明治十八年(1885)生、昭和五十年(1975)没、高知県室戸市生まれ、大逆事件に連座して死刑、恩赦により無期懲役、昭和九年仮出所(この時点で唯一の生き残り)、戦後、最高裁に再審請求を行った(→棄却)。

 

次へ