平成22年12月12日(日) 目次へ 前回に戻る
最近行ったところを整理してみた。
○11月21日安房・鋸山
雲霧不遮千里眼、 雲霧の千里の眼を遮らざれば、
海山殆尽十州天。 海山ほとんど尽くす、十州の天。
雲と霧が千里まで見通す視力を遮らなかったら、
海と山はほとんど十の国の範囲までおれの視野に収まるのだ。
小野湖山の「鋸山に登る」より。
湖山・小野懐之は近江のひと、梁川星巌を師とし、元豊橋藩儒。維新後、優遊吟社を起こす。明治43年(1910)没、行年九十七歳(!)。
十州を指を折って数えてみたのですが、
安房、上総、下総、常陸、下野、上野、武蔵、相模、伊豆、甲斐
でいいのかな?
○12月 5日武蔵・蒲田
雪霽風恬海色披。 雪霽(は)れ風恬として海色披(ひら)く。
新苔着簇緑垂垂。 新苔簇(ソウ)に着きて緑垂垂。
雪が晴れ上がると風ものどかに、海は穏やかに凪ぎわたった。
すると、海苔の枝が「ひび」に着いて、あちこちで青緑に垂れさがっているのが見えたぜ。
館柳湾「南蒲海苔詞」より。
柳湾・館(たて)枢卿は越後・新潟のひと、江戸に出て幕吏となって飛騨などにも奉職した。詩を以て名高く、天保15年(1844、弘化元年である)、八十三歳を以て卒す。
江戸期に海苔を繁殖させるために遠浅の海中に立てる「ひび」は竹製だったそうですので、タケカンムリの「簇」(ソウ。やじり)という字を使っていますね。
○12月12日相模・江島
楼閣参差波際影、 楼閣参差(しんさ)たり、波際の影、
管弦縹渺洞中声。 管弦縹渺たり、洞中の声。
肉身猶踏登仙路、 肉身に登仙の路を踏むがごとく、
塵相消磨毛孔清。 塵相は消磨して毛孔清し。
旅館の建物の高低ある影は波打ち際に映り、
どんちゃん騒ぎの三味線の遠いかすかな音が龍の棲む洞穴に響く。
おれはこの肉体のまま仙人の世界に足を踏み入れているのか?
おれのごみでできた部分は磨り減って消えてしまい、毛穴の奥まで清らかになっていくぜ。
ような気がする。精進落としのどんちゃん騒ぎで楽しかったのでしょう。西嶋坤斎「画島に宿す」より。
坤斎・西嶋長孫は江戸のひと、はじめ下條氏、西嶋柳谷の養子となる。養父とともに林家に連なる儒者である。蘭渓とも号した。嘉永五年(1852)、七十三歳を以て卒す。
「江ノ島」の漢語表現で「絵島」とか「天女島」という言い方はたおやかでよいのですが、「画島」というのは「ガ島」と読むのであろうか、昭和戦後育ちにはおそろしい感がありますね。
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肝冷斎は、にほん中どこに行っても関係する漢詩が引用できますよ(タイワンもOK)。
これは明治32年(1899)玉江釣人・行徳仁卿の編する「日本名勝詩選」(東京文永堂)を入手しているからだ。また作者の伝がすぐ出てくるのは「漢学者総覧」(長澤孝三編、汲古書院昭和54)等を利用しているからである。ひひひ。