この世はだいぶん寒くなってきましたね。まあおいらは月曜日までにはあたたかい常春の国・彼岸に行ってしまいますから冬が来ようが露が落ちようが影響無い。
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明治二十七年(1894)。負龍軒主人の作。
これは当時、我が国にあった亡命政客・金玉均が「狂詩の上乗」と称賛した一首である。
道楽発端称有志、 道楽の発端は「有志」と称し、
阿房頂上為議員。 阿房の頂上、議員と為る。
売飛累代田畑去、 累代の田畑を売飛ばし去りて
貰得一年八百円。 貰い得たり一年八百円。
(政治)道楽を始めたのは田舎で「有志」と称して仲間を集めたことで、
今や阿房宮(※)の頂上(のような高いところ)に昇りつめて「議員さま」とおなりになった。
(政治資金のために)先祖伝来の田畑を売りとばして、
一年八百円の議員歳費をいただくご身分。
※ 秦の二世皇帝が作らせた巨大宮殿。オロカなものの喩えであり、「あほう」の語源の一つとされる。
また、同年九月、黄海海戦の捷報を読みて、
変梃来是変熱拳、 変梃来(へんてこらい)はこれ変熱拳(へんねつけん)、
無敢最後海洋辺。 はかなくも最後は海洋の辺なり。
古筒売込腹膨処、 古筒売り込んで腹膨るるところ、
百日説法一発煙。 百日の説法も一発の煙となる。
この詩は次の、当時であればコドモでも知っていたことを知っていないと理解できません。
・・・ドイツ人技師ハンネッケンなる者があり、清国に雇われて旅順要塞を設計した。日清戦争の直前には軍艦に乗船していて海戦のために撃沈されたが海岸に泳ぎ着いて助かり、その後、丁汝昌のもとで北洋艦隊副提督となっていて、黄海海戦で丁とともに戦死したと報じられた(実際には戦死していないらしい)。このハンネッケンは清軍に「変梃来」(ヘンテコライ)という役立たずの武器を高価に売り込んでいたとされ、当時のガキどもはヘンテコな人や事物を見ると、
へんてこらいや、へんねっけん
と囃したのだという。
新兵器ヘンテコライとその発明者ヘンネッケンは、
はかなくも海の中に沈んで終わってしまったという。
古い大砲を売り込んで私腹を膨らませていたわけだが、
百日の間あちこちに宣伝した儲けも一発の砲弾の煙のように消えたのだ。
わっはっはっは。ゆくゎいだなあ。
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ちなみにこの詩を作った人、「負龍軒主人」は「三十一谷人」とも名乗っております。「負龍軒」(ふりょうけん)というのは「不料簡」の意だそうで、「三十一谷人」というのは「世俗」という二字を分解したのだという。
さて、この人の本名は?
千円かな五千円かな一万円かな?→ここを見よ
・・・え? 明日休日出勤? それもかなりツラいやつ? うひゃあ、おいらはもう今日中に彼岸に帰るよー。岡本全勝さんのHPの来場者は200万行ったかな?・・・と思ってチェックしてみたら2000038だったー!惜しー!
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