平成26年7月22日(火)  目次へ  前回に戻る

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あと三日。

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今日は打ち上げ+歓迎でビールを少し嘗めた、だけなのにまたほどよく酔うて眠くてしようがない。

「酔中漫題」(酔うてそぞろに作る)

不求成仏不求仙。  仏と成るを求めず、仙たるも求めず。

結習難除翰墨縁。  結習して除き難きは翰墨の縁なり。

ブッダになろうとも思わないし、仙人になろうとも思わない。

しかしながら欲がむすぼおれて除き難いのは、文章を書くということへのこだわりである。

豈有文章驚海内、  あに文章の海内を驚かすもの有らんや、

題花賦月過年年。  花に題し月に賦して年年を過ごす。

世の中をあっと言わせるほどの文章をものしたことはなく、

花を記し月をうたい、何年も生きてきただけであるけれど。

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ただし肝冷斎ではなくて巌谷一六先生の詩でした。

一六先生、巌谷修は字を誠卿といい、天保五年(1834)(←明治時代に頑迷固陋の代名詞のようにいわれた「天保老人」の世代である)、近江・水口藩侍医家に生まる。明治新政府に出仕。書家としてその能筆を認められた故であるという。後、栄進して内閣大書記官、貴族院議員に至り、明治三十八年(1905)没。筆家としては明治三筆の一、詩家としては明治十二家の一に数えられる。

ちなみに雅号を「一六居士」というのは、明治初年の官吏の公休日が一のつく日と六のつく日であったため、一と六の日には勤め人ではなくて文人に戻る、という意だそうです。おいらも「土日居士」と名乗ろう・・・かと思ったが、間もなく「毎日居士」になりそうなので止めておきます。児童文学者・巌谷小波のおやじ、といった方が通用する向きもあろうか。

 

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