←ほろよいぶた人間
あと三日。
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今日は打ち上げ+歓迎でビールを少し嘗めた、だけなのにまたほどよく酔うて眠くてしようがない。
「酔中漫題」(酔うてそぞろに作る)
不求成仏不求仙。 仏と成るを求めず、仙たるも求めず。
結習難除翰墨縁。 結習して除き難きは翰墨の縁なり。
ブッダになろうとも思わないし、仙人になろうとも思わない。
しかしながら欲がむすぼおれて除き難いのは、文章を書くということへのこだわりである。
豈有文章驚海内、 あに文章の海内を驚かすもの有らんや、
題花賦月過年年。 花に題し月に賦して年年を過ごす。
世の中をあっと言わせるほどの文章をものしたことはなく、
花を記し月をうたい、何年も生きてきただけであるけれど。
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ただし肝冷斎ではなくて巌谷一六先生の詩でした。
一六先生、巌谷修は字を誠卿といい、天保五年(1834)(←明治時代に頑迷固陋の代名詞のようにいわれた「天保老人」の世代である)、近江・水口藩侍医家に生まる。明治新政府に出仕。書家としてその能筆を認められた故であるという。後、栄進して内閣大書記官、貴族院議員に至り、明治三十八年(1905)没。筆家としては明治三筆の一、詩家としては明治十二家の一に数えられる。
ちなみに雅号を「一六居士」というのは、明治初年の官吏の公休日が一のつく日と六のつく日であったため、一と六の日には勤め人ではなくて文人に戻る、という意だそうです。おいらも「土日居士」と名乗ろう・・・かと思ったが、間もなく「毎日居士」になりそうなので止めておきます。児童文学者・巌谷小波のおやじ、といった方が通用する向きもあろうか。