一鳴山雲裂、 一鳴 山雲裂け、
再鳴山月飛。 再鳴 山月飛ぶ。
山人久離国、 山人久しく国を離れ、
涙堕不如帰。 涙は堕つ 帰るにしかず。
(ほととぎすよ、おまえの)鳴き声が一度聞こえたとき、(その激しい叫びのせいか)山にかかっていた雲が流れ、暗い空が見え出した。
二度目に聞こえたとき、山の端に月が現われ、雲の間を飛んでいく。(←実際は雲の方が飛んでいるのである)
山ぐにで生まれたおれだが、都会に長く暮らしすぎた――
故郷を思って涙止まらぬ、(おまえが叫ぶように)「もう帰った方がいい」のだろうか。
チュウゴクではホトトギスの声(てっぺんかけたか)を「哥哥不如帰」(か・か・ふ・にょ・き=にいさん、帰るがいいよ)と聞いたということと、後撰集の
五月闇くらはしやまのほととぎすおぼつかなくも鳴きわたるかな
五月闇(梅雨時の闇夜のことである)の中、(「暗い」と掛詞の)くらはし山で、ほととぎすが鳴きおった。
闇の夜空だ、先が見えないから覚束なく、不安気に鳴いているねえ。
―――われらもまた無常の生の中を覚束なくさまよっているわけだがね・・・。
という名歌を踏まえて味わってみませう。
これは明治末から大正期に活躍した上夢香の「聞鵑」(鵑(けん)を聞く)といふ詩です。大正のリリシズムがそのまま漢詩の上に零れ落ちると、かやうな音色に響くかと思はせる詩ではないか。
上夢香(じょう・むこう)は山城のひと、名を真行といい、楽静主人とも称す。本名のときには「上」を「うえ」と読みます。
このひとは、実は宮内省楽部長で、多くの唱歌の作曲を行った音楽家としての方が現代でははるかに有名ですね。「とーしのはーじめのためしーとてー」のひとです。嘉永四年の生まれ、没年は現在調査中。
おまえさんたちもいつまでも都会にいてもしようがないぞ。・・・と言ってみただけです。気に障ったら、ごめんしてね。