清の時代の話。
あるお医者が夜の往診の帰り、肩輿(人が前後に立って担ぐ輿。駕籠)に乗って城隍廟(町の守り神のお堂。たいてい薄暗い恐そうなところにあります)の側を通りかかったときのこと。
肩輿は前に二人、後ろに二人が着く四人担ぎの物であったが、突然前の二人が立ち止まった。
「いったいどうしたのじゃ」
とお医者も輿の中から顔を出した。
後ろを担いでいたうちの一人も
「どうしてこんなところで立ち止まるんだい?」
と首を延ばして前を覗き込んだ。
その彼らの目の前には、
見二大鬼。高倶盈丈、一衣白、一衣青、昂然闊歩至寺前。
二大鬼を見る。高さともに丈に盈(み)ち、一は衣白く、一は衣青く、昂然と闊歩して寺前に至る。
二体の巨大な精霊が見えた。二体とも背丈は優に一丈=3.2メートルを越え、一体は白い衣、もう一体は青い衣を着ていて、彼らは堂々と歩幅広く歩いて近くのお寺の門の前まで行った。
寺の門が音も無く開いた。
その二人は胸の前で腕を組んで、門内の誰かに挨拶をし、それから、すうっと門の中に入った。
寺の門が音も無く閉まった。
時月色光明、繊毫畢見。
時に月色の光明らかにして、繊毫も畢見せり。
この時は、月が皓々と照らしていたから、細かい毛先さえ見えるような明るさであった。
だから見間違いということはない。
「い、今のは、な、なんじゃ?」
「お医者さまもご覧になりましたよね・・・」
「いったい何者でございましょう・・・」
「あわわ・・・」
お医者と、三人の駕籠かきは顔を見合わせて不思議がったのだが、後ろのもう一人の担ぎ手は輿の陰になって前方が全く見えなかったので、
「おいおい、みなさん何をご覧になったんだ? こんな夜中にこのあたりにひとが通りかかった、ていうのかい? そんなはずがあるはずありますめえ。さあ、はやく行きましょう」
と急かした。
「あ、ああ・・・」
ようやく輿は動き始めた。
お医者は家に帰って家人にその不思議な事件を話したのだが、数日ならずして、
医与轎夫四人亡其三焉。
医と轎夫(きょうふ)四人その三を亡えり。
お医者と、駕籠かき四人のうちの三人まで急死してしまった。
生き残ったのは、後ろを担いでいて、二体の巨人を見なかった者だけであったという。
次―――。
わしの大伯母さんの朱おばさんのお話。
朱おばさんがまだ幼いころ、彼女の姉(もちろんこのひともわたしの大伯母さんに当たるわけですが)が熱を出して寝込んでいた。
朱おばさんがその姉の部屋に見舞いに入ったときのことである。
見堂中立一大鬼、高及屋梁、白衣高冠。
堂中に一大鬼の立つを見る。高さ屋梁に及び、白衣にして高冠なり。
「部屋の真ん中に一人のでかい霊が突っ立っておったんじゃ。その背丈は建物の梁に届くほどあった。白い衣で大きな冠をかぶっていた」
朱おばさんは驚いて気を失ったそうである。
それからおばさんは一ヶ月ぐらい熱を出して生死の境をさまよっていたのだそうだが、一ヶ月余して回復したとき、はじめて
其姉于是夕遂亡。
その姉、この夕に遂に亡ず。
お姉さんがあの晩に亡くなっていた。
そして、既に葬儀も終わっていたことを知ったのであった。
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巨人は今年も怖いですね。
李慶辰「酔茶志怪」巻二より、「無常二題」(「無常」に関する二つのお話)というお話でした。
科学的に、「なんらかの感染症に罹った際に、なんらかの原因でみな同じような(巨人の)幻覚を見た」のではないか、とも考えてみたのですが、考えてみたところで何の役にも立ちませんので、やめた。
ちなみに「無常」というのは、清代後半に頻出の人間型の幽霊・・・特に「死霊」という語の語感に近いと思いますが、原則無言で、たいていの場合、それに出会ったりそれに追いかけられたひとに不吉(多くは不慮の死)をもたらす霊的存在です。深夜、死者の出る家に向かって無言で出向く「走無常」とか、こびと型の「小無常」といったバリエーションもあります。さらにちなみに、さっきから隣の部屋でどんどんと足音が聞こえるのですが、床ではなくて壁を歩いているような音なのです。コワいです。節分で追い出されたやつが来ていたりして・・・。あれ? よく考えてみると、こちら側に部屋あったっけ・・・