平成22年2月4日(木)  目次へ  前回に戻る

昨日は怖かったけど、理由は何となくわかったので、もう気にしないことにしました。この部屋の家賃、不思議に安いし・・・。

さて、今日は犬について話したいと思います。

が、その前に鶴のお話をします。

「亀は出ません」

晋書によれば、三国の時代が終わり、呉が晋に降った後、呉のもとの大司馬・陸抗の子である陸機(字・子衡)は、弟の陸雲とともに、晋の都・洛陽にやってきました。このとき、その才能を認めた大博物学者・張華が、

伐呉之役、利獲二俊。

呉を伐つの役は、二俊を獲るを利とす。

今回、我が晋による呉の討伐・併合は、陸機・陸雲の二人の俊才を獲得することができたことが、最大の利益であった。

と言ったのは有名であります。

陸機があまりに華麗な文章を作るので、

人之為文、常恨才少。而子更患其多。

ひとの文を為(つく)る、常に才の少なきを恨む。而して子はさらにその多きを患(うれ)う。

「普通のひとが文章を作る際には、自分は才能が無い、といって悩むものだが、あなたさまはそうではなくて才能が多すぎ、文章が美しくなりすぎて困っておられるようですね。」

と言われたほどだったのである。

しかし、その才能の溢れるのをひとびとに嫉妬され、後、張華と同様に八王の乱に巻き込まれて

華亭鶴唳、豈可復聞乎。

華亭の鶴唳(かくれい)、あにまた聞くべけんや。

故郷の浙江・華亭の郊外で聞いた鶴の鳴き声は、もう二度と聞くことはできないのだな。

と嘆きながら殺されたのであった。

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さて、この陸機は黄耳という名の犬を飼っておりました。

機は長く都・洛陽にいたので、江南の実家の様子を知りたいと思い、

笑語犬曰、我家絶無書、汝能齎書、取消息否。

笑いて犬に語りて曰く、「我が家絶して書無し、汝よく書を齎して消息を取るや否や。

笑いながらそのイヌに語りかけた。

「わしの実家との間には情報の交換が全くないんじゃよ。おまえ、手紙を持って行って、どういう状態になっているか情報を取ってこれないか」

すると、

犬揺尾作声。

犬、尾を揺らして声を作す。

イヌは、尾を降りながら鳴いた。

「わかりましたでワン」

と言うようである。

そこで、機は、

為書以竹筒盛之、繋其頚。

書を為(つく)り、竹筒を以てこれを盛り、その頚に繋ぐ。

手紙を書くと、竹筒の中にそれを収め、その筒を犬の首にくくりつけた。

犬尋路南走、遂至家、得報還洛。後以為常。

犬、路を尋ねて南走し、ついに家に至り、報を得て洛に還る。後、以て常と為せり。

イヌは行き先を探しながら南に走り去り、とうとう江南の実家に到着した。そして、答書を得て洛陽に帰ってきた。その後、そのイヌが江南まで行き来して情報を交換するのが常態になったのであった。

のち、黄耳は江南にあるときに死んだらしく、陸村の南に「黄耳塚」というのがある。

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以上、梁・任ム「述異記」より。

なお、唐の馮元城によれば、

――浙江・華亭には黄耳寺というのがあり、これは犬の名前である。

というから、この時期には「塚」から「寺」になっていたのである。

馮の言うところでは、「相獣経」という書物によると、

犬白身而黄耳者能知人家吉凶事。

犬白身にして黄耳なるものはよく人家の吉凶のことを知る。

犬の、体が白く耳が黄色いのは、飼い主の家に起こることが善い事であることか悪い事であるか、事前に予知することができる。

という能力を持つのだそうである。

――であれば、陸機が書状を三千里遠くの実家に伝えるのに用いたという黄耳もこの類の超能力犬であったのだろう。

と勝手に解釈しているが、上記の「述異記」の記事からは、黄耳はマジメで忠実な感じはしますが、先を読むほどのアタマの良さは感じられないように感じます。

 

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