「もう秋じゃなあ、すべて移ろいゆくのじゃなあ。われらはいつまで生き延びられるのか・・・」「カニー」とへいけ君とへいけガニは感じ入っておりますが、今日も暑かった。
今日はツラい会議があったが何とか眠らずに乗り切る。宿題が多く、かつツラいやつだが、なんとか今日は生き延びたのだ。ところで今日は「目の愛護デー」ですので、これにちなんで目の開かれるようなお話をしま・・・いや、無理かなあ・・・。
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オロカ者なのであまり長いのは読めません。よし、簡単そうな短いやつにするぞ。
「孟子」離婁章句下(第六章)に曰く、
非礼之礼、非義之義、大人弗爲。
非礼の礼、非義の義は、大人は為さず。
これだけです。「大人」は「二十歳以上ぐらいのオトナのひと」ではなく、「たいじん=立派なひと」です。
非礼の礼や、非義の義は、立派なひとはしない。(君らもしてはいかんぞ。)
なるほど。ようし、ではおいらも明日からは非礼の礼や非義の義はしないぞー。じゃあおやすみなさい・・・と言って寝てしまえるひとは漢文古典を読む楽しみを知らないというべきでしょう。ここからいろいろひねくり回してなんだかんだと考えるのが楽しいんです。
何故、「大人」はこんなことをしないのでしょうか。
宋の朱晦庵先生に聞いてみます。
「先生、なぜ立派なひとは非礼の礼や非義の義をしないんでちゅか?」
朱晦庵先生曰く(「孟子集注」)、
「それは・・・」
察理不精故有二者之蔽。大人則随事而順理、因時而処宜。豈爲是哉。
理を察するも精ならざる故に、二者の蔽有り。大人はすなわち事に随いて理に順い、時に因りて宜しきを処す。あに是を為さんや。
真理を観察して精確でないと、この二つ(非礼の礼・非義の義)の蔽いにさえぎられてしまうことがあるのだ。立派なひとは事案に適した真理に従って行動し、状態に因って適切な対応をするのだから、どうしてこんなことをしてしまうことがあろうか(、いや、ないのだ)。
「なーるほど。ところで先生、「非礼の礼」とか「非義の義」というのは具体的にはどういうことなんでちゅか?」
と重ねて訊いてみました。すると、
「ぶう」
なんと朱晦庵先生は黙り込んでしまい、答えてくれません。
後漢・趙岐先生に聞いてみます(「孟子注疏」)。
「それはじゃなあ・・・」
若礼而非礼、陳質娶婦而長、拝之也。若義而非義、藉交報仇是也。此皆大人所不爲也。
礼のごとくにして非礼なるは、陳質の婦を娶りて長なれば、これを拝するなり。義のごとくして非義なるは、交を藉(しゃ)して仇を報ずるなり。これみな大人の為さざるところなり。
礼に似ているのだが非礼なのは、陳質がヨメをもらったら自分より年上だったので目上の人として拝礼したようなことじゃ。義に似ているのだが非義なのは、荒くれどもが仲間を助けて敵に復讐するようなことじゃ。どちらも立派なひとはしないことじゃよ。
「なーるほど。陳質がヨメをもらったら年上だったので・・・は、この日の記事でちゅね。(そうか、完全に忘れていたが、四年ぐらい前に「孟子」の同じところを取り上げていたのでちゅな。忘れているとは情けないが、オロカ者なのでしようがないし、今回はその後の勉強も踏まえているのでいいか・・・。)
荒くれどもが仲間を助けて敵に復讐・・・というのは、「史記」遊侠伝にいう、
郭解少時陰賊、以躯借交報仇。
郭解、少(わか)き時陰賊にして、躯を以て交を借(しゃ)して仇に報ず。
(漢の武帝のころの大親分であった)郭解は、若いころ地下組織に所属し、自らからだを張って仲間を助け、敵対者に復讐していた。
とあるに拠るのでちゅな。なお、「借」(しゃく)は「藉」(せき)と通用して「かりる」と訓じますが、いずれも「しゃ」と読むときは「助ける」の意味になるそうです。
いやー、勉強になりまちたなー」
「いやいや、他にもあるぞ」
と、吉田松陰先生が出て来て曰く(「講孟余話」)、
非礼之礼、非義之義、此類世間最も多し。権門勢家に奔走するを俗人は礼と心得、娼妓婦女に約信を違へざるを侠士は義と心得る類、亦北条・足利等の逆賊の爲めに忠義を致し、恐多くも堂々たる
天朝へ楯を衝き奉る皆是なり。大道を明にせずんば、礼義の正を失ひ非に陥ること多し。
非礼の礼、非義の義、このたぐいは世間にたいへん多い。権門や勢力のあるところに奔走(して挨拶)するのを俗人どもは「礼」だと思っている。商売女やそこらの女どもと約束したとか将来を誓い合ったのでこれを破ることができないのをやくざ者は「義」だと思っている、といったやつらだ。それだけではない。(承久の変で後鳥羽上皇に逆らった)北条氏、(後醍醐天皇に逆らった)足利氏などのくそ逆賊のために忠義を尽くして、畏れ多くも堂々たる正義の
天子さまの朝廷
に楯突き申し上げおったようなやつばらは、みんなこれだ。これなのだ! 大いなる道義を明確にしてそれに沿って行動しないと、「礼」「義」の「正」からはずれ、「非」に陥ってしまうことが実に多いのだ!
「わーい、なるほど。これは目を開かされまちたな。善哉善哉」
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今日の講義はこれでおしまい。