秋になるたび柿寄越せとサルにつきまとうカニであった。
今日は三十何年前に一緒にシゴトした先輩の送別会というので行ってきまして飲んでツラい。
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もちろん今は秋十月なのですが、
三月尽の心をよみ侍りける
いくかへりけふに我が身のあひぬらんをしきは春の過ぐるのみかは
旧暦三月の末、すなわち春の終わり、というキモチをよみました―――
いったい何度、(一年に一度の)春の終わりのこの日をわたしは過ごしたろうか。そのたびに「愛おしい」と思うのは、今日で春が終わる、ということだけではない。
人生が走馬灯のように過ぎていくのも「愛おしい」。
・・・んだそうでございます。藤原定成さんは。(「千載集」巻二)
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酔ってまだふらふらするので今日はもうおしまい。