平成26年12月18日(木)  目次へ  前回に戻る

たとえばバクダンを持って濠を渡ろうとして立ち往生してしまうようなオロカなことはしないでしょう。

今日も寒かった。夜中に戸外をさまよい歩くようなことをすると凍えるので、家の中でいろいろ思索し、自己反省をすることにしました。

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非礼の礼、非義の義というものがあるのである、と孟子が言っている。

礼に似て礼にあらず、義に似て義にあらざるもののことで、こんなことは

大人弗為。

大人(たいじん)は為さず。

立派なひとが絶対にしないことである(。諸君らもしてはならぬ)。

ことなのだそうです。(「孟子」巻八・離婁章句下

具体的にはどんなことなのであろうか。「孟子」にはなんの説明もありません。

どんなものかわからないので、もし無意識のうちにそれをやってしまったらイヤだなあ、と思っておりましたが、漢・董仲舒「春秋繁露」(五行相勝篇)を閲していたら、ついに実例を発見したので、みなさんにも教えてあげましょう。

周の武王が太公望・呂尚を軍師として殷の紂王を討伐したのは紀元前12世紀と推定されておりますが、そのあと、太公望は山東半島の付け根あたり、当時の中原の東の果てに当たる「斉」の君主に封じられ、営邱の地に邑を築いた。

このとき、太公望は司寇(筆頭家老)となった営蕩に、

問治国之要。

治国の要を問う。

「おまえはどのようにこの国を治めていこうと思っているのかな?」

とお訊ねになった。

「ははー」

営蕩答えて曰く、

在仁義而已。

仁義に在るのみ。

「仁と義をもとにしていくしかないと考えます」

太公望は大いに頷かれて、

「そのとおりである。それではおまえのいう仁と義とはどのようなことかな?」

とお訊ねになった。

「ははー」

営蕩答えて曰く、

仁者愛人、義者尊老。

仁者は人を愛し、義者は老を尊ぶ。

「仁なる行為とは他者を愛すること、義なる行為とは年上の人を尊ぶことであると考えます」

太公望、また大いに頷き、微笑みながら、

「そのとおりである。それではおまえは民をどのように教育しようと思うのかな?」

とお訊ねになった。

「ははー」

営蕩答えて曰く、

愛人者有子不食其力、尊老者妻長而夫拝之。

人を愛する者は子有るもその力に食らわず、老を尊ぶ者は妻長なれば夫これを拝す。

「他者を愛させねばなりませんから、老人にたとえ子どもがいたとしても、その子どもを愛しその負担にならないよう、老人は死ぬまで働き、働けなくなったら世を去らねばならないようにしたいと思います。また、年上の人を尊ばさねばなりませんから、夫婦の夫より妻の方が年長であれば、夫の方が妻に仕え、その言いなりにならねばならないようにしたいと思います」

これを聞いて、太公望は「う〜ん」と呻って腕組みし、やがて言うに、

寡人欲以仁義治斉、今子以仁義乱斉。寡人立而誅之、以定斉国。

寡人は仁義を以て斉を治めんと欲するに、今、子は仁義を以て斉を乱さんとす。寡人、立ちてこれを誅し、以て斉国を定めん。

「わしは仁と義とによってこの国を秩序正しく治めて行こうと考えていたが、どうやらおまえは仁と義という言葉を借りてこの国の秩序を混乱させようという考えのようである。わしは今こそおまえのような悪党を誅殺して、この斉の国を安定させようではないか」

と。

そして左右に命じて営蕩を捕らえ、これを死刑にしてしまったのであった。

清・焦循「孟子正義」にいう、この営蕩の行おうとした政治方針こそ、非礼の礼、非義の義である、と。

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なーるほど。

こんな悪党は死刑しかありませんね。

おいらも無意識にこんなことをしてしまっているかも知れません。もししてしまっていたらごめんなちゃい。子どものやったことだからゆるちて。ぐすん。念のため、二三日反省して更新を自粛ちまちゅ。

 

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