ぶただるま
更新自粛を終了しました。自粛しているうちに温暖斎一族が活動していたみたいですね。
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日本中に雪が降っているようですが、桃郷のオロカ者どもは
「クリスマスに雪が降ってステキ!」
レベルのことに思っておりましょう。
怪しからん。このたび武田静澄著「落人伝説の旅――平家谷秘話」(昭和44社会思想社)を読んで、当時まだ日本のあちこちに存在した「秘境」の生活の苦しさを知り、それからわずか四十数年でこの国にはびこったオロカ者どもの数多いのにヘキエキしえおりますわい。
しかし読書人はむかしから雪を軽々しく考えて、
風捲黄雲暮雪晴。 風は黄雲を捲きて暮雪晴れたり。
江烟洗尽柳条軽。 江烟洗い尽くして柳条軽し。
簾前数片無人掃、 簾前の数片、人の掃う無く、
又得書窓一夜明。 また得たり、書窓一夜の明を。
風は黄色く濁った雲を吹きとばして、夕暮までには雪も晴れた。
川辺の靄も洗われたかのように無くなって、柳の枝が軽やかに舞っている。
おれの家のすだれの外のいくらかの雪は、誰も掃いてくれるひとはおらぬから、
書斎の窓に一晩分の明かりを頂戴したもの、とそのままにしておく。
ことにしていたそうです。
これは中唐の戎c(じゅういく)というひとの「雪霽」(雪が霽(はれ)た)という詩(柏木如亭「訳注聯珠詩格」巻四所収)。
ちなみに柏木如亭のかっこいい邦訳を以下に示す。
どんみりとしたくもを風が捲てくれがたの雪も晴たり
みづのうへのもやは柳のえだをさつぱりあらつて軽くみえる
まどのそとへつもつたのをばはくものがないから
つくゑのまへのありあけのかすりだ (「かすり」=上前をはねること)
江戸口語の中に唐詩の意を尽くして、みごとのほか一語も無い訳である。
もちろん「書窓一夜の明」には
孫氏世録曰、康家貧無油、常映雪読書。少小清介、交遊不雑。後至御史大夫。
「孫氏世録」に曰く、康が家貧しくして油無く、常に雪に映じて書を読む。少小より清介にして交遊雑ならず。後、御史大夫に至る。
「孫氏の代々の記録」という本によると、孫康は家が貧乏だったので灯油が無かった。そこで毎晩、雪灯りに照らして読書したのであった。若いころから清廉で潔癖で、その交友関係にはいい加減な人はいなかったという。後に御史大夫の位に至った。
という晋の孫康の故事(「蒙求」巻上「孫康映雪」)が下敷きになっておりますよ。
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なお、福井県三方郡三方町仏泊では、昭和40年代に入っても
まだ電灯がつかない。手ずから菜種をしぼり、灯油をつくるのである。
という状況だったそうです(「落人伝説の旅」p250)。パンが無ければケーキを食べろ、と申します。孫康も灯油ぐらい自分で作れば?