「もう少しゆっくりしたいもんだが、明日はもう月曜日でモンキ」「ぶう」
今日はクラシック音楽聞いてきまちたぜ。文化的なコドモなんでちゅなー。
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明治十二年(1879)、来日し、我が国漢文学者と交わって、一大ブームを起こした清の王韜(おう・とう)(字・紫詮、天南遯叟と号す)は、その以前に同治六〜九年(1867〜1870)に訪欧して漢文書籍の欧訳に務めたひとであるが、彼に有名な「法国国歌」の訳というものがあるので、試みにその一番を掲げてみる。
法国栄光自民著、 法国の栄光は民より著(あら)われ、
爰挙義旗宏建樹。 ここに義旗を挙げて建樹を宏めん。
フランスの栄光は人民によって明確にされるのだ、
ここに正義の旗を掲げ、建てられた柱(のような人民の意思)を広めよう。
母号妻啼家不完、 母は号(さけ)び妻は啼き、家は完からず、
涙尽詞窮何処訴。 涙は尽き詞は窮まり、いずれの処にか訴えん。
母は叫び、妻は泣いている、おれたちの家は崩壊したのだ、
涙は尽き果て、言うべき言葉も失ったのだ、いったい誰に訴え出ようか。
吁王虐政猛於虎、 吁(ああ)、王の虐政は虎より猛なり、
烏合爪牙広招募。 烏合の爪牙、広く招募さる。
ああ、ルイ王の悪虐の政治は、トラよりひどい害をもたらし、
寄せ集めの傭兵たちが(王の募集により)あちこちからかき集められた(おれたちを弾圧するために)。
豈能復覩太平年。 あによくまた覩(み)んや、太平の年を。
四出捜羅困奸蠹。 四出し捜羅して、奸蠹(かんと)を困(くる)しめん。
どうすればまた平和の日々に戻れるのだろうか・・・、
今は四方に出征し、探し出し網をかけて捉え、わるいシロアリどもを苦しめよう。
(ここからリフレイン部分に入る)
奮勇興師一世豪、 勇を奮い師を興す、一世の豪、
報仇宝剣已離鞘。 仇を報ずるの宝剣はすでに鞘を離る。
進兵須結同心誓、 兵を進め、すべからく同心の誓いを結ぶべく、
不勝捐躯義並高。 勝たざるも躯を捐(す)つるは義並びに高し。
勇気を出して義勇軍を起こすのが時代を代表する豪の者のやることじゃ、
敵に報復するための宝剣は、もう鞘から抜かれているんだぞ。
進軍しよう、同志の誓いを結ぼうではないか、
勝利しなくても自分の生命を棄てようというのは、正義として高く評価されることだ!
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これはいわゆる「ラ=マルセイエーズ」なんです。「ラ=マルセイエーズ」には数種の原詩があって、王韜が訳したのがどんな詞だったのかわからないそうですが、とりあえずいちばん一般的なウィキペディアに出てくる一番の邦訳は以下のとおり。どこをどう間違えた? というようなところもあるが、なんとなく似てるのは確かですね。
行こう祖国の子らよ 栄光の日が来た!
我らに向って暴君の
血まみれの旗が掲げられた
聞こえるか戦場の残忍な敵兵の咆哮を
奴らは我らのもとに来て
我らの子と妻の喉を掻き切る!
(以下、リフレイン部)
武器を取れ 市民らよ
隊列を組め 進もう 進もう!
汚れた血が我らの畑を満たすまで!
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木下彪「明治詩話」(岩波文庫・緑199−1)巻下・その三より。
原歌もさらにどんどん続きますが王韜の漢訳も七番ぐらいまであるらしいので、続きを読みたい人は東海散士「佳人之奇遇」にも載っているらしいから、読むべし!