食べ物のありそうなところにはどこにでも現れるやつもいるが、たいていのやつはある程度豊かになるとゆったりするものである。
本日はなかなかすばらしい場所に出現したりしてました。俗世を離れているので自由にどこにでも出現できるんですが、今日はチケットが必要であった。
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そういえば、この間、偉大な自由主義者である福沢諭吉の「福翁自伝」を読みました。さすがに「明治自伝文学の白眉」といわれるだけあってオモシロかった。特に若いころの準犯罪行為自慢みたいな冒険談はワクワクしました。
福沢は
幼年の時から貧家に生まれて、・・・少年のとき荒仕事ばかりして、冬になると瘃(あかぎれ)が切れて血が出る、スルト木綿糸で瘃の切れ口を縫うて熱油(にえあぶら)を滴らせて手療治をしていたことを覚えている。
痛そうである。
しかるに、洋学をして生活も立ち行くようになり、
江戸に来てから自然ソンナことが無くなったから、・・・ある時、詩のようなものを記したことがある。
曰く、
鄙事多能年少春、 鄙事に多能なり年少の春、
立身自笑却壊身。 立身して自ら笑う却って身を壊(やぶ)るを。
浴余閑座肌全浄、 浴余に閑座して肌全く浄きは、
曾是綿糸縫瘃人。 かつてこれ綿糸もて瘃(しょく)を縫える人なり。
ちっぽけなことがいろいろ得意で、少年時代にはいろんなことをしていたのだ。
何とか自分で生きていけるようになり、笑ってしまうのは、体を動かさなくなって却って健康によろしくないのではないかということじゃ。
風呂を出てきて、ゆったりしているこの肌に傷も無い清潔な人(←自分のこと)が、
あのころ綿の糸であかぎれした手の皮膚を縫っていたやつなのだとはなあ。
よかったですね。
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難波の緒方塾にいたころ、飲み屋のものを無断で持ち帰ってくるのはもちろんだが、ある夏のこと、
難波橋の上に来たら、下流(かわしも)の方で茶船に乗ってジャラジャラ三味線を鳴らして騒いでいる奴がある。
「あんなことをしていやがる。此方(こっち)は百五十かそこらの金を見つけ出して、ようやく一盃飲んで帰るところだ。忌々敷い奴らだ。あんな奴があるから此方等(こちとら)が貧乏するのだ」
と言いさま、私の持っている小皿(←これも盗品)を二三枚投げつけたら、一番しまいの一枚で三味線の音がプッツリ止んだ。そのときは急いで逃げたから、人が怪我したかどうか分からなかったところが・・・・・
無茶苦茶ですよね。さて、結果はどうなったでしょうか。岩波文庫「新訂 福翁自伝」p.76を参照ください。
この本、「マダマダいろいろ」面白いことがあるけれども、おいら肝冷斎は「颯々(さっさ)と」ちょうどな「塩梅(あんばい)式に」寝ます。