伊達政宗公晩年想像図。「残躯天の赦すところ、楽しまざればこれ如何」。
久ぶりに東北へ行ってきました。もう夏になっていて暑かった。しかし東京よりはさわやかかも。
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コボスタ宮城がありますのは仙台の東郊外に当たります宮城野。古来の歌枕であり、かつて第四師団の練兵場であった。
↓は秋の詩なので、昨日今日もこんなに涼しければよかったのになあ、と思いますが、そういうわけにはいきませんでした。
東郭金風草露稠、 東郭の金風に草露稠(しげ)く、
晩涼引我到松邱。 晩涼我を引いて松邱に到らしむ。
東の郊外では秋風に吹かれて草に結ぶ露が多くなっておる。
夕暮れの涼しさに誘われて、わしは松林の丘に行った。
木・火・土・金・水の「五行」のうち、秋に旺(さかん)になるのが「金」なので、秋の風を「金風」とも申します。金属的な、冷え冷えと鋭い風だと観念される。
松林の丘にたたずみますと、
鈴虫声咽荻花路、 鈴虫(れいちゅう)声咽ぶ荻花(てきか)の路、
月冷宮城野外秋。 月冷ややかなり宮城(みやぎ)野外(やがい)の秋。
スズムシの声も悲しく咽ぶがごとき荻の花の咲く道のほとり、
月は冷え冷えと、仙台郊外の宮城野の原に光っている。
大槻磐渓「宮城野」絶句。
大槻磐渓は享和元年(1801)生、明治11年(1878)卒、仙台藩儒。奥羽越列藩同盟に奔走、戊辰戦争後終身禁固(後に釈放)。開国派の漢学者である。大槻玄沢の子で「大言海」の大槻文彦のおやじ。
この詩にあるような涼しい秋を迎えられるまでには夏を過ごさなければなりません。今年の夏も、職業的にツラい夏になりそうです。無事に秋を迎えられるであろうか、いやありえない。
宮城野あたりの寺。
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仙台のホテルは飽和状態でカプセルも取れなかったので塩釜に宿泊。
「最近の若いものはけしからん」とかなんとか難しい顔をしながら歩いていきます。すると、
路入夕陽黄樹間、 路は夕陽黄樹の間に入り、
風光満目解愁顔。 風光満目、愁顔を解く。
わしの行く道は夕日の沈みいく黄葉の森に入っていき、
目にうつる風景が、わしの愁いに満ちた顔を解きほぐしていく。
「うっしっし」
にこにこしながらしながら歩いていきますと、森が途切れて、
煙巒天際青如染、 煙巒(えんらん)天際、青は染めるがごとく、
都是平生夢寐山。 すべてこれ、平生の夢寐の山なり。
霧のもやった山々のいただきあたりは、染められたように青く、
すべて、いつも夢見ていたようなすばらしい山の姿である。
ここは宮沢賢治の「シオーモ」の地だそうですからね。
このひとは仙台方面から陸路やってきたようですが、むかしは塩釜神社のあたりまで入り江で芭蕉もそのあたりから舟に乗って松島に向かったそうですので、この山々の麓には海があったのであろう。
岡鹿門「塩釜途上」絶句。
岡鹿門は天保四年(1833)生、大正三年(1914)卒、仙台藩儒。昌平黌を経て大阪で私学を開いたりしていましたが、後、仙台藩養賢堂指南。戊辰戦争時には奥羽越列藩同盟に反対して投獄さる。明治になって修史局に出仕、以後は教育者あるいは大陸浪人みたいなことをしていたひとです。
塩釜港(千賀の浦)。平成23年に来たときは、まだこのあたりは潮に浸っていた記憶が。
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今週で世界は滅ぶのではないか、まさか来週まで存続することはあり得ないだろう・・・と思っているうちに明日はまた月曜日。午前中からツラいしごとがある予定。うわーん。(T_T)