夏が来ればバテはじめる。自己管理能力低きゆえに。
一日ハタラいただけでもうバテバテ。明日も明後日もハタラくのはもう・・・。
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唐の時代のことでございます。
扶風(長安近辺)出身の竇寛なる人、太和八年(834)の秋、
罷職退帰。
職を罷めて退帰せり。
役所を辞めて、引退して実家に帰った。
治園屋、命家僮伐一樹。
園屋を治めんとして、家僮に命じて一樹を伐る。
庭や宅地を整備しようとして、家の子郎党らに命じて、一本の樹木を切ろうとした。
「あいでちゅー」
「切ってちまいまちょー」
「えいちょ、えいちょ」
と言いまして、家の子郎党どもが総出で
既伐、見有血成沼、滂然注地、食頃而尽。
既に伐るに、血の沼を成し、滂然として地に注ぎて食頃にして尽く。
切り倒しました。すると、木の切り口から血のような液体が流れ出し、ついに沼のようになり、ざぶざぶと地に注いだが、飯を食うぐらいの短い時間の間にその血のような液体は乾いてしまった。
「これは・・・」
竇寛はたいへん異常なことと思い、
具知為怪、由是閉門絶人事。
つぶさに怪たることを知り、これより閉門して人事を絶つ。
詳細まで検討して怪現象であることを知って、これ以降は門を閉ざして人とのつきあいを止め、謹慎に務めた。
しかるに、翌年の冬十一月、鄭注、李訓らが叛乱を起こしたとき、竇寛は鄭注と仲間だったというので、
遂誅死於在禁軍中。
ついに禁軍中に在りて誅死せり。
ついに、天子の近衛軍の中に連行されて誅殺されたのであった。
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唐・張讀「宣室志」巻五より。
なんと!
引退してから一年以上も経ってから誅滅されています。まだ明日まだ明日と一日伸ばしにしていると、それだけ誅滅の可能性は高まるということだ。できるだけ早く、夏は夏バテ、冬は寒さに乗じて引退するしかないのであろう。