平成28年6月14日(火)  目次へ  前回に戻る

眠るカッパにはたらくカッパ、同じカッパなら眠らにゃそんそん。

今日はかなりツラいしごとあり。よくぞ生き抜いて帰ってきました。ほっとしてむかしの本でも読もうかな・・・。

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居郷而囿於数十里之見、硜硜然守之也、百攻不破。

郷に居りて数十里の見に囿(ゆう)せられ、硜硜然(こうこうぜん)としてこれを守るや、百攻すれども破られず。

いなかに棲んで、数十チャイナ里(一チャイナ里≒5〜600m)四方の狭い世間の見聞にとらわれて、石のようにかたくなにそれを守っていたのでは、(賢者から)百たび批判してもらったとて思い込みが破られることはないだろう。

「囿」は「園」あるいは「垣根の無い園」をいう文字ですが、ここでは「拘束される」「かかずらわる」という意味。

ところが、

及遊大都、見千里之事、茫然自失矣。

大都に遊び、千里の事を見るに及びて、茫然として自失せん。

大都会にやってきて、千里四方のいろんなことを見聞きするようになりますと、何が何だかわからずに自分を失い、思い込みも破れてしまうものでございます。

ところがところが、都会におりましても、

居今而囿於千万人之見、硜硜然守之也、百攻不破。

今に居りて千万人の見に囿せられ、硜硜然としてこれを守るや、百攻すれども破られず。

ゲンダイに暮らして、何千万人という人口の世界の見聞にとらわれて、石のようにかたくなにそれを守っていたのでは、(賢者から)百たび批判してもらったとて思い込みが破られることはないだろう。

ところがところがところが、

及観墳典、見千万年之事、茫然自失矣。

墳典を観、千万年の事を見るに及びて、茫然として自失せん。

「墳典」は「三墳五典」の略で、超古代の「三皇」「五帝」の時代の書物のこと。「殷代の甲骨文以前の時代の文書が遺っていたら、それは偽書では・・・」と思うひとがいるかも知れませんが、それはそのとおりです。あなたは正しい。「三墳五典」は、実質的には「古典」ぐらいの意味です。

いにしえの書を見、何千年、一万年もむかしのことを知るようになりますと、何が何だかわからずに自分を失い、思い込みも破れてしまうものでございます。

すなわち、

是故囿見不可狃。狃則狭。狭則不足以善天下之事。

この故に囿見には狃(な)るるべからず。狃るればすなわち狭なり。狭ければすなわち以て天下の事を善くするに足らず。

だから、見聞にとらわれていることに慣れてしまってはいけないのです。慣れてしまうと見聞が狭くなってしまい、見聞が狭くなると天下のもろもろのことを改めていくことができるはずがありませんからなあ。

なので、どんどん見聞を広めるためにむかしの本を読みましょう。

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「呻吟語」119則。

しかし、むかしの本ばかり読んでいると、実際にはどんどん見聞が狭くなっていく気もいたしますなあ。だいたい、よく考えたらまだ火曜日だから、本読んでいるヒマがあったら早く寝ないといけません。明日がまた来るのだから・・・。

 

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