王者ぶたキングさま。「王者の楽しみは、食う、寝る、風呂じゃ」
今日はシアワセで楽しいんですが、明日になるともう月曜日の前日である。サクラの花より先に散ってしまいたくなるぐらい月曜日はイヤだなあ。
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楽しくなれるようなことを考えてみましょう。
君子有五楽、而富貴不与焉。
君子の五楽あり、しかして富貴は与からず。
君子には五つの楽しみがある。財産があるとか地位が高いとかは関係がない。
というんです。五つもあるなら、毎日一つずつ楽しめれば平日五日なんとかなるかも。
その一。
一門知礼儀、骨肉無釁隙、一楽也。
一門礼儀を知り、骨肉に釁隙無きは、一楽なり。
一門のひとみな礼儀を知っており、親族の間に隙間・不和が無い、というのは第一の楽しみである。
その二。
取予不苟、廉潔自養、内不愧於妻孥、外不怍於衆民、二楽也。
取予かりそめにせず、廉潔自養して、内には妻孥に愧じず、外には衆民に怍じざるは、二楽なり。
もらう・与えるのいずれもいい加減でなく、清廉潔白で正当な労働報酬だけで生活して、内では女房子供を困らせることなく、外では一般大衆に批判されることがない、というのは第二の楽しみである。
その三。
講明聖学、心識大道、随時安義、処険如夷、三楽也。
聖学を講明し、心に大道を識りて、随時に義に安んじ、険に処りて夷(い)の如きは、三楽なり。
聖人・孔子以来の儒学について勉強して理解し、心の中で基本的にどうあるべきかを知っていて、その時その時に採るべき正義に安んじて、難しい場面にいても平易な状況と同じように対処していける、というのは第三の楽しみである。
その四。
生乎西人啓理屈之後、而知古聖賢所未嘗識之理、四楽也。
西人の理屈を啓くの後に生まれ、古聖賢のいまだかつて識らざるところの理を識るは、四楽なり。
西洋人どもが科学を開発した後で生まれて、いにしえの周公や孔子のような賢者でも知らなかったことを知ることができるのは、第四の楽しみである。
その五。
東洋道徳西洋芸術、精粗不遺、表裏兼該、因以沢民物、報国恩、五楽也。
東洋道徳・西洋芸術、精粗遺さず、表裏兼該して、因りて以て民物を沢し国恩に報ずるは、五楽なり。
東洋の道徳、西洋の技術、どちらも詳しい部分・雑な部分を残さずに表も裏も知って、これによって人民や物資を豊かにして国の恩に報いることができれば、第五の楽しみである。
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佐久間象山「省侃録」より。佐久間先生といえば「桜賦」が有名なので、サクラ開花にちなんで登場いただきましたが、「桜賦」の方は長いので、興味のあるひとは飛鳥山に行って「桜賦之碑」を読んできてください。
内容は「孟子」尽心上篇の「君子三楽」、すなわち、
君子有三楽、而王天下、不与存焉。
君子に三楽あり、しかして天下に王たるは与かり存せず。
君子には三つの楽しみがあるよー! でも、天下に王さまとして君臨するのは(楽しそうに思えますが)関係無いよー。
父母倶存、兄弟無故、一楽也。
父母ともに存し、兄弟故無きは、一楽なり。
おやじもおふくろも元気で、兄弟に事故も無いのは、第一の楽しみだよー。
仰不愧於天、俯不怍於人、二楽也。
仰いで天に愧じず、俯しては人に怍じざるは、二楽なり。
上を見たときに天に文句を言われない、下を向いたときに人さまに批判されない、のは第二の楽しみだよー。
その上に、
得天下英才、而教育之、三楽也。
天下の英才を得てこれを教育するは、三楽なり。
天下の英才が来てくれて、こいつらを教育することができるなら、第三の楽しみだなあ。
君子有三楽、而王天下、不与存焉。
君子に三楽あり、しかして天下に王たるは与かり存せず。
君子には三つの楽しみがあるよー! でも、天下に王さまとして君臨するのは(楽しそうに思えますが)関係無いよー。
・・・というのをパロっているわけです(洋学の利用など当時としてはたいへん新しい思想が盛り込まれているわけですが、ゲンダイではどうでもいいことなので省略)が、「孟子」の「三楽」も難しいけど一楽めだけは条件が整えば何とかできるかも知れませんし、二楽目も抽象的なので一時的にはできるような気がします。が、象山先生の「五楽」は難しすぎて一つもできません。おいらには無理です。
「へへへ、なので、おいらはもうグループから脱けさせていただきますぜ」
と言いたいところですが、なにしろ勝海舟から
いかにもおれは天下の師だといふやうに、厳然と構へこんで、元来覇気の強い男だから、漢学者が来ると洋楽をもつて威しつけ、洋学者が来ると漢学をもつて威しつけ、ちよつと書生が尋ねて来ても、ぢきに叱り飛ばすといふ風で、どうも始末にいけなかつたよ。
と言われる(「氷川清話」)ほどのひとです、逃げようとしても逃げきれず叱り飛ばされるかも知れません。ああ世の中コワいひとばかりなのだ。平日は家から出ないといけないからイヤだなあ。