平成26年12月23日(火)  目次へ  前回に戻る

日本に生まれてよかった。ほんとに。ぶう。

明治三十四年(1901)、夏五月の初。先月末に赤ん坊が生まれたばかりの青山御用邸―――

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此日青山玉輦停、  この日、青山に玉輦停まり、

吾正迎之喜且驚。  吾、まさにこれを迎え喜びかつ驚けり。

 今日、この青山の地に玉のくるまがおとまりくださった。

 わたしはほんとうにこの方をお迎えして、驚ろき、そしてうれしかった。

御成りになったのは明治の皇后陛下(すなわち昭憲皇太后)であられた。

そして出迎えた「わたし」は?

何料厚運生男子、  何ぞ料らん、厚運にして男子を生じ、

得慰両宮望孫情。  慰むを得たり、両宮の孫を望むの情に。

思いのほかに運よく生まれたのは男の子で、

両陛下の(皇嗣たる)孫を得たいというご希望にお応えすることができたのである。

「わたし」は時の皇太子・嘉仁親王、後の大正天皇である。

ということはこの「男子」は?

児辱御覧定歓喜、  児は御覧を辱(かたじけな)くして定めて歓喜せん、

嬌口恰発呱呱声。  嬌口にあたかも発す、呱呱(ここ)の声。

 赤ん坊は皇后陛下の御覧に入って、おそらく大喜びなのでございましょう、

かわいい口を開いて、ちょうどふぎゃふぎゃと泣きだした。

迪宮(みちのみや)・裕仁親王、すなわち昭和天皇であられたのだ。

妃猶在蓐不得謁、  妃はなお蓐に在りて謁するを得ず、

吾独恐懼拝光栄。  吾ひとり恐懼して光栄を拝せり。

吾が妃はまだ産蓐についておるのでお目に掛かることができぬので、

わたしはひとりで恐れ畏み、拝謁の光栄の浴したのである。

妃は前年に九条家から入内した節子妃、後の貞明皇太后である。

大正天皇御製「奉謝皇后宮台臨賀生男」(皇后の宮の台臨し男を生むを賀するに謝し奉る)

八行詩ですが「律詩」のルールにまったくこだわっていないので、「古詩」という分類に入る詩形です(←大正天皇は律詩もちゃんと作ってますので、作れない、という意味ではありませんので念のため)。石川忠久先生も「漢語としてはこなれない表現が目立つ」としながらも母后(昭憲皇后は大正天皇の実母ではあられないが)に「初孫をお見せする喜びが行間に溢れている」と評しておられます(「漢詩人 大正天皇」(2009大修館書店)p113)ように、実に自然なキモチを自然な漢文に載せて、大正天皇のお人柄が偲ばれる一篇になっております。

これは113年前のことです。これから113年経ったらどんな世の中になっているのでしょう。われわれはいつまでも「歴史の途中」にいるんですなあ。

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あさみどり澄みわたりたる大空の 廣きをおのが心ともがな (明治天皇御製)

詠海(「海を詠ず」)(大正天皇御製)

積水連天足偉観、  積水は天に連なり偉観足(おお)く、

百川流注涌波瀾。  百川流れ注いで波瀾涌く。

由来治国在修徳、  由来、国を治むるは徳を修むるに在り、

徳量応如大海寛。  徳量、まさに大海の如くに寛なるべし。

大量の水=海は空につながって、雄大な景色に満ちている。

何百もの川が流れそそいで、大きな波・小さな波が湧き立っている。

むかしより、国を治めるには為政者が徳を修める必要があるというが、

その徳はこの大海原のような巨大なものであるべきだろう。

天皇陛下、お誕生日おめでとうございます。弥栄。

 

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