←こんなシゴトなら甲斐あるカモだが。
今日は遅くなりました(←シゴトのせいでっせ。念のため)ので早く寝ないとね。
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今日も北日本は大荒れ、暴風雪という。
しかし知識人は風雪の害を理解しないので、これを利用することばかりを言う。このはわずかに窓の外から一夜の明をいただいただけであったが、もう少しでっかく活用されることもあります。
山雪楼頭半夜明。 山雪に楼頭は半夜明らかなり。
天風吹下読書声。 天風は吹き下す読書の声。
山いっぱい雪が積もったので、たかどのの上の階は夜中も明るかった。(そこで読書している人がいるのである。)
空の風が上階での書を読む声を吹き下ろして来る。
このひとは、山中に雪が積もったので、窓際の机だけでなく上の階いっぱいの明かりに使ったんですね。
このたかどのは「梅楼」と呼ばれ、周囲は梅の林。冬のさかりであるが、もう雪中梅が香り始めている。
そこで―――
勧君莫把離騒読、 君に勧む、「離騒」を把りて読むなかれ、
見説梅花恨未平。 見説(みるなら)く、梅花の恨みいまだ平らかならざるを。
おまえさん、楚辞の「離騒」をとって読むのは止めておきなされよ。(その中にはたくさんの植物が出てくるのだが梅だけは出てこないので)
梅の花が(「離騒」に取り上げられなかった)恨みをいまだに引きずっていることがわかってしまうから。
はあ。
なぜ梅が恨んでいるので読んではいけないのか?
梅は植物です。植物が恨む?
このひと大丈夫か?
と心配になってきますね。
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南宋・鄭碩「梅楼」(「訳注・聯珠詩格」巻四所収)。作者の鄭碩の生平はわかりません。もしかしたらほんとに大丈夫でなかったのかも知れません。
柏木如亭のかっこいい訳をかかげておきます。
山の雪で楼頭(にかいぢゅう)が半夜(よなか)も明るいそうで
天(たかいとこ)の風が書(ほん)を読む声を吹き下ろすはへ(「はへ」は「〜わえ」です。詠嘆)
おすすめまうす「離騒」をばよみたまふな
そのなかには梅の花ばかりぬけてゐると(い)つてまだくやしがつてゐるさうだ
楚辞の「離騒」は紀元前三世紀の屈原の作とされる長編詩で、高い才能を持つ(と自分では思っている)人が世間に容れられぬ悲哀を詠って、チャイナの歴代の知識人に大きな影響を与えた名作です。作中、たしかに、江離、辟芷、木蘭、宿莽、山椒、菌桂、宦A留夷、掲車、杜衡、秋菊、薛茘、胡縄・・・と香のよい植物らしいモノが次々に出てきて「君子」に喩えられていますが、「梅」は出てきません。十二支に外されたネコが怨むようにウメも怨んでいるのかも・・・でもドウブツでさえ無いからなあ。
ちなみにこれらの植物は、青木正児大先生の「新訳 楚辞」(昭32春秋社)を繰ってみたが先生はひとしなみに「香草」という注しかつけていない(「木蘭」「山椒」「秋菊」は注なし)。非道なり。一つ一つ調べてみよう・・・と思ったが、うひゃー!またすごい時間に。明日も会社があるんです(T_T)