うはうは。休みだ。
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一日中さまよっていました。
十里青烟帯夕輝、 十里の青烟、夕輝を帯び、
時看少婦戴蕉帰。 時に看る、少婦の蕉を戴きて帰るを。
何十キロも向こうまで青黒いもやが立ち込め、それが夕日の紅を含んで、すごい空の色になってまいりました。
そんな時間帯に、いなぐわらび(おんなのコ)が巨大な芭蕉の葉っぱを頭に乗せて、楽しげに帰って行く。
湿気がすごくて、夕焼けのときにも濛濛としているのである。芭蕉の葉が茂っているのである。おんなのコは芭蕉の葉を何に使うのかな。
卜居自適虬南地。 卜居して自ら虬南(きゅうなん)の地に適えり。
到処家家織布衣。 到るところの家家、布衣を織る。
どこに住もうかと考えて、みずから水龍住むこの南の地がいいと思うたのだ。
この宵も、どこの家でも芭蕉布を織る、よなべのオサの音が聞えはじめた。
ゆうきったん、とんからり。ゆうきったん、とんからり。
「虬」(キュウ)は「みづち」、すなわち「蛟」(水龍)あるいは水蛇のことである。おんなのコたちは芭蕉の葉をほぐして繊維を糸にし、それによって芭蕉布を織るのである。
でも、とりあえず沖縄本島の那覇周辺にはこんな光景はもうありませんでした。
講武由来在止戈。 武を講ずるは由来、戈を止むるにあり。
嘗将礼楽保平和。 かつて礼楽を将ちて平和を保つ。
用兵のことに備えるのは、もともと戦争を未然に防ごうとするからである。
ところがこの地では、かつて武力を用いず、儀礼と音楽だけで平和を保っていたというのである。
ほんとうかな? 境内を治めるには武力を用いてましたぞ。
士人未覚桃源夢、 士人いまだ桃源の夢より覚めず、
歳月悠悠事酔歌。 歳月悠悠、酔歌を事とす。
この地の為政階級(士)も被支配階級も、いまだにその桃源郷のような夢から醒めることができない。
この明治の時代にも、ゆうゆうとして酔うて歌うてばかりである。
琉球時代の「士」(サムレー)が桃源郷の夢を見ていたかというとそうでもなく、廃藩置県の後、清に渡って反日活動していた人もいると聞く。秩禄の処理がなされていないと思うので、その苦心、本土士族の比で無かったにちがいない。
ちなみに酔うて歌っているばかり、も今ではまったくそうではありませんでした。おとおりも無いし。今や福岡のひとより勤勉ではないかな。
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実はこの作者の人のことがわかりません。漢学者総覧とか伝記総覧など当たってみたが現在のところどういうひとかわからぬ。
「わはは、そんなこともわからへんのか」
「やっぱりダメね、仕分けしないと」
とひとびとの嗤い声が聞こえてまいります。悔しい。見返してやりたい・・・、いや、あれは夜に入って荒れ始めた台風11号の暴風の音か・・・。
せっかく今日はいい調子だったのに、夕方、しごとのことを思い出した。月曜日の朝いちばんでアレをしなければ・・・。そう思ったらいっぺんにうちゅの症状になりまして、もう鉛ジュース飲んだ感じに・・・。