今日は台風がすごいんです。外へ出られないので中でお勉強です。もやもやと香烟たちこめる塾堂で、おいらたち童子は先生にいろいろ訊いてみました。
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Q1 先生、どうして森は緑色なのでちゅか?
うむ。実は、
木色本青。
木の色はもと青なり。
植物の色は本来は青なのじゃ。
しかし、草木がすべて緑色になるのは、
蓋緑青黄之間色。木非土不養故青依於黄而緑矣。
けだし、緑は青・黄の間色なり。木は土にあらざれば養われず、故に青は黄によりて緑なり。
緑色は青に黄を混ぜるとできる色である。植物の類は土から養分をとって生育するので、植物の本来の色である青に黄色が混ざって緑になるのである。
「ようくわかりまちたー。まだ葉緑素という概念は知らないのね」
なんじゃ、それは。おとなをからかうものではないぞ。
Q2 先生、ミミズには前と後ろがあるのでちゅか?
うむ、いいところに気づいたな。
これはあるのである。
蚯蚓二竅、一前一後。前竅雖一而備五用焉。
蚯蚓は二竅、一前一後なり。前竅一といえども五用を備えたり。
ミミズには二つしか穴が無いが(人間は九〜十穴ある)、このうち一が前、一が後である。この前の穴は、一つしかないが、五つのはたらきをする。
「五用」(五つのはたらき)というのは、
視聴嗅食歌。
視・聴・嗅・食・歌なり。
見ること、聴くこと、嗅ぐこと、食べること、そして歌をうたうことである。
「歌をうたうのでちゅねー」
Q3 草や木を元気にしてあげるにはどうちたらいいの?
それは簡単なのだ。
凡草木花果、以水澆之則活。
およそ草木花果は、水を以てこれに澆(そそ)げばすなわち活す。
草でも木でも花でも果実でも、およそ植物の類は、水を注ぎかけてやると元気になるのである。
しかし、
以湯澆之則死。
湯を以てこれに澆げばすなわち死す。
湯を注ぎかけてしまうと、死んでしまうのだ。
けだし、
水生気也、湯死気也。
水は生気なり、湯は死気なり。
水は活力をもたらすものだが、湯は死滅させる力を持っているのである。
「なるほど、お湯をかけないように注意しなければいけないのねー」
Q4 先生、春からだんだん夏になっていく季節と、秋からだんだん冬になっていく季節とはどう違うのでちゅか?
これはするどい質問だなあ。
春夏之気飛騰、物因之而変化者亦然。青虫化為胡蝶、水虫化為蜻蛉之類是也。
春夏の気は飛騰せんとすれば、物のこれによりて変化するものまた然り。青虫化して胡蝶と為り、水虫化して蜻蛉と為るの類、これなり。
春から夏の季節のフンイキは飛び上がろうとしているのだ。だから、この季節に変化するものもまた、飛び上がろうとする。見なさい、アオムシにょろにょろが蝶々になる。水の中のヤゴがトンボになる。みんなそうだ。
「「水虫」はミズムシではなくて、水中のヤゴ(トンボ類の幼虫)のことなのでちゅね」
一方、
秋冬之気降潜、物因之而変化者亦然。雀入大水為蛤、雉入大水為蜃之類是也。
秋冬の気は降潜せんとすれば、物のこれによりて変化するものもまた然り。雀の大水に入りて蛤と為り、雉の大水に入りて蜃(しん)と為るの類、これなり。
秋から冬の季節のフンイキは降り沈もうとしているのだ。だから、この季節に変化するものもまた、降り沈もうとする。見なさい、スズメが海や川に入ってハマグリになる。キジが海や川に入ってもっと大きな二枚貝になる。みんなそうだ。
「う〜ん、スズメ→ハマグリ、キジ→二枚貝の例は「礼記」には書いてあるけど、実際には見ることができませんねー」
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この先生はもう少し観察・実験が必要でちゅねー。
この先生は明・王達といいます。「蠡海集」(れいかいしゅう)より。何がおもしろいのか知りませんが、こういう変な(当時としては大真面目なわけですが)科学的知識がたくさん集められ、一部問答式になっていて面白い。こんな質問するやついないよ、と思わず失笑してしまうようなのもあります。例えば上のQ2のミミズの口とか。
昨日、東京から裏肝冷斎が出した荷物が届き、こういうタネ本がたくさん届きました。ありがとう、裏肝冷斎よ・・・と感謝しているうちに、明日はもう月曜日かあ〜。ああイヤだイヤだ、仮病で休もうかな・・・。