平成22年9月12日(日) 目次へ 前回に戻る
ちょっと昼間は暑かったし、今もまだむしむしは残っていますが、何となく秋らしくなってきましたので、やっと秋のうたを。
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秋野日疎蕪、 秋野は日に疎蕪にして、
寒江動碧虚。 寒江は碧虚を動かす。
秋の野は日に日にまばらに、枯れていく。
寒ざむとしてきた江の水面には、空っぽな青い空が(映って)ゆらゆら揺れている。
水面に映ったすっかりと晴れた空の表現、さすがに上手いですなあ。
―――からかいなさるな。
老人は称賛するわしの言葉に首を振りながら続けた。
繋舟蛮井絡、 舟を繋ぐは蛮の井絡(せいらく)、
卜宅楚邨墟。 宅を卜するは楚の邨墟(そんきょ)。
わしが舟を繋いでしばらくの旅の泊まりにしているのは、蛮族も住む「井の地」のはずれじゃ。
わしはやがて(この地を出、)宅地を占うていにしえの楚の村里の跡地に住むことにするつもり。
「井絡」の語、おそらくは天を二十八に分けてそれぞれに「宿」を割り当てた、古い天文学の「二十八宿」を、さらに地上の各地域に割り当てた「分野説」に基づくものと思われる。後漢以来の考え(「晋書・天文志」)によれば、二十八宿のうち「井宿」は関中、すなわち長安周辺に当たり、老人が舟を舫おうとしているこの地は四川の東の辺地、長安の南の方であるから、「井宿」の星の糸すじ(「絡」)が南に向かって垂れ下がった先っぽあたりというにふさわしい。この地は、漢族ならぬ山地民族も多く住む地である。
楚の地はここから長江本流に出、三峡を下った彼方であるが、この後老人はそこに赴くつもりらしい。ただし、出発は来年の春になるとのこと。とりあえず老人は家族とともにこの地で冬を過ごすのであるという。
―――わしがこの冬借りたこの地所の
棗熟従人打、 棗の熟せるは人の打つに従(まか)し、
葵荒欲自鋤。 葵(キ)の荒れたるは自ら鋤せんと欲す。
ナツメは熟れたが、誰でも好きなやつが棒で叩いて実を落とし、持って行くがよい。
水際のワサビのあたりが荒れて草が生えてきおったので、そちらはわしが自分でくさぎることとしますのじゃ。
盤飧老夫食、 盤飧(バンソン)の老夫の食、
分減及渓魚。 分減して渓魚に及ぼさん。
皿に盛り付けられるこの(もう働きの悪い)じじいの食い物は
少しは減らして(残り物を江に流し)渓谷の魚たちにも食わせてやることになるであろう。
だいぶん弱気になってきておられるようです。
これは杜甫の「秋野」(五首)の第一首。大暦二年(767)秋の作で、このあと一ヶ月ぐらいした旧暦の九月九日には、有名な「登高」という七律を作ることになります。いろいろ猟官したり詩会で名を売ったりしてきた大詩人も弱ってまいりまして、誰に宛てるでもないようなしみじみとした呟き(ツイート)のような詩が多くなってまいりました。それでもこのひと、まだあと三年ぐらいは・・・いや、本人を目の前にしてあまり軽々しく言えませんでしたね。
ようやく秋になってまいりました。この「秋野」の五首連作はなかなか味わい深いので、あとの四首も回を分けてご紹介することにいたしましょうぞ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と言いましたらすぐに
「いいよ、そんなの。もっと役に立つことを教えろ」
と言う声が聞こえてきた。
―――何言ってんだ、ばか。ほんとうに役に立つことを教えてもらっても何もわからないくせに・・・。
と言いたいのをぐっとがまんしまして、
「わかりました。では、今日はもっと役に立つ漢詩を教えてさしあげましょう」
そして、わしは朗々と唱えたのであった。
自由棲処是我郷。 自由の棲処、これ我が郷ぞ。
千古格言掃俗塵。 千古の格言、俗塵を払う。
八寸之筆三寸舌、 八寸の筆、三寸の舌、
誠忠凛烈泣鬼神。 誠忠凛烈として鬼神を泣かしむ。
「自由のあるところが、わしの祖国である」
墓碑にはこの未来永劫に伝えられるであろう格言が刻まれていた。凄烈なこの言葉が保守的な世の中の塵で覆われてしまうことはないだろう。
八寸の筆と三寸の舌で(イギリスからの)独立と人民主権の革命をなしとげた
至誠と忠義の彼の心は、凛として烈、おにがみさえも泣かずにおらぬ。
これぞ、明治の初め、東海散士(会津のひとなり。弟も有名)が「費府」のある偉人の墓を訪れて、感動して詠じた詩であります(「佳人之奇遇」による)。(「費府」とはどこでしょうか。「ある偉人」とは誰か。みなさん知っているでしょうから特に言いませんが、知らないひとがいるといけないので明日念のため答えを発表します。)
√ああ、何しろ自由民権の詩、海外の進んだ思想の影響を受けたものでありますから、役に立つ。「佳人之奇遇」は清末には梁啓超によって漢訳され、シナの志士烈婦たちにも大きな影響を与えた東洋近代史上の名著ですから、もちろんみなさんも読んでおられ・・・
え? 読んでない? それに、
「ノウハウ本でないから役に立たない」
だと?
いい加減にしろ!
と思いましたが、言うてわかるはずも無いので、
「はいはい」
と頷いてノウハウ歌を歌いましょう。
昨夜(ゆふべ)来たのはよべこか猫か 猫が下駄はいて来るものか
糸の切れたはつなげばなおる 主と切れたはつなげない
秩父織子歌である。これを歌ってシゴトに精出した、というのだからシゴトに役に立つに違いないであろう。