平成22年9月13日(月) 目次へ 前回に戻る
ほんとうにあったことかどうか知りませんよ。
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明の太祖・洪武帝は私度の僧(というより僧のかっこうをした盗賊)から身を起こしたと言われる。それ故もあろうか、社会のシステムの外にあって社会を変革する立場になりかねない下層の僧侶たちの存在をたいへん恐れたのである。
ある年、僧となることを許された者が三千人あったのだが、この中に、他人名義で申請して度牒(許可証)を得た者があることが発覚した。
洪武帝はその報告を聴いて激怒し、
悉命戮之。
悉く命じてこれを戮(ころ)させしむ。
三千人の僧すべてを死罪に処するよう命じた。
三千人です。死罪にする場所と人員を確保するだけでもたいへんである。都(当時はナンキン)は大騒ぎになった。
このとき、(正式の僧である)浙江の僧・永隆というものが上書して、
請焚身以赦。
焚身して以て赦されんことを請う。
自分が生きながら焼身するので、三千人の生命を助けてほしい、と訴えた。
洪武帝はこれを認めた。
期日に至ると、永隆法師はナンキンの雨花台に昇り、群集の見守る中、仏龕(ぶつがん。廚子(づし)。仏壇のことであるが、ここではちょうどひと一人が座れるような箱である)に入ると、
秉炬自焚。
炬を秉(と)りて自ら焚(や)く。
自らたいまつを受け取り、自分のまわりに火をつけたのであった。
火は法師の衣服から廚子に燃え移り、半刻ばかりもさかんに燃えたのち下火になった。
やがて燃え落ちた廚子の中から、黒いひとの形をしたものが現われた。
骸骨不倒、異香逼人。群鶴舞于龕頂。
骸骨倒れず、異香ひとに逼る。群鶴、龕頂に舞えり。
それは焼け焦げた法師の骸骨であったが燃えて崩れることなく、生きたひとのように座したままであり、ひとびとは肉の焦げた臭いではなく、不思議な芳香を嗅いだ。そして、鶴が何羽も群れになって、廚子の残骸の上の空を舞い飛んでいるのだった。
「おお」
洪武帝は永隆法師の徳に感じ、三千人の罪をお赦しになったのであった。
・・・・・と、「剪勝野聞」という書物に書いてあった。
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と、「元明事類鈔」巻十九に書いてあった。
コワいですね。何がコワいかというと、自分が反逆によって権力を手に入れたから、他人も同じことをするのではないかと他人をコロす、というその心性がコワいのでしょうね。なんまんだ。ゲンダイのわが国ではこんなことは・・・。
ちなみに、「費府」=フィラデルフィア、「ある偉人」=ベンジャミン・フランクリン