秋は魚が美味いのニャぞ。
今日は眠かった。明日ぐらいもう週末かと思って耐えたが、明日はまだ金曜日だった。明日は会議などにおいて、緩やかに倒れる(←「居眠りする」の隠語)のは確実であろう。
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だんだんと秋になってきました。
淪落天涯客、 淪落す、天涯の客、
驚秋独悵然。 秋に驚きてひとり悵然たり。
おちぶれてしまい、天の果てのような遠い地をさまよう旅人(のわし)は、
ふと秋が来たのに驚いて、ひとりぽっちで心を痛めているんじゃ。
いやー、若いころはもっと元気だんたんですが、
可憐強弩末、 憐れむべし、強弩の末に、
空学竹林賢。 むなしく竹林の賢を学べるを。
―――「史記」巻百八「韓長孺列伝」に、漢・武帝の建元五年(前140)、和議を申し入れてきた匈奴にどう対処すべきか議論噴出した際、韓長孺は、
彊弩之極矢、不能穿魯縞、衝風之末力、不能漂鴻毛。非初不勁、末力衰也。
彊弩の極矢は魯縞も穿つあたわず、衝風の末力は鴻毛も漂わすあたわず。初め勁(つよ)からざるにあらず、末力衰うるなり。
強力な弩から発射した矢でありましても、その最後には勢いを失って、薄い魯の国特産の絹に穴を空けることができなくなります。激しい風もいろんなものにぶつかり、その最後の方では鳥の羽毛を浮かせておくことさえできなくなります。最初の力が弱かったのではありません。だんだんと先にいくと力が衰えたのです。
と言って、匈奴征伐の不可なるを説き、和平を主張した・・・。
「強弩の末」というのは、「軍隊の力が遠征距離が長くなると弱まるように、英雄の気力も年おいては衰える」という意味に使われます。
同情してくだされや、強いいしゆみ(のようであったわし)も年老いて衰え、
今はむなしく竹林の七賢(のように隠棲の生活)を真似ているのである。
肝冷斎も若いころはシゴトする気力はあったのかも知れませんよ。しかし年を取ってしまったからもうダメなんですなあ。
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本朝・河上肇「秋思」(秋の思い)詩。昭和十五年九月の作品。この日ははじめての防空訓練があったそうである。