平成30年8月29日(水)  目次へ  前回に戻る

どんどん勢力を増す悪の使徒ぶたデビル一派だが、服が暑そうなので夏バテしないものであろうか。その点ぶた天使はスカスカで涼しそうである。

まだ週半ばだが、バテている。暑さは少し安らいできたように思われるが、ニンゲン的にバテているのである。明日あたりはまたデク人形に行かせるか。

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わたし以外にも夏バテしているひともいると思いますので、そういうひとに呼びかけてみる。

聞君病暑我亦然、 君、暑に病むと聞く、我もまた然り、

無那炎熱六月天。 いかんともする無し、炎熱六月の天。

 おまえさんは暑さに弱っていると聞いたが、実はわしもそうなんじゃ。

 炎に熱せられているような旧暦六月の日々、どうすればいいのだろうか。

そうだ、いいこと思いついたぞ。

好蹈層氷太液上、 好く層氷を太液のほとりに踏み、

便騎双鶴扶桑辺。 すなわち双鶴に騎りて扶桑のあたりへ。

「太液」は漢の武帝のときに長安の皇宮につくられた池です。唐の玄宗皇帝も同じ名の池を作って楊貴妃とそこに遊んだといい、どちらの皇帝も神仙を好んだことから、天上の仙界の池にも見立てられます。「扶桑」は東の国にあるという大木の名。

(天上に行けば涼しいと思うので、仙界の)太液湖のほとりで重なった氷を踏んで涼んでみようではないか。

それから二羽のツルにまたがって、東の空にそびえる扶桑の木のまわりを飛び回ってみようではないか。

イヤな世俗の用務はデク人形どもにやらせてのう。ひっひっひっひっひ・・・

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実際は肝冷斎の作品ではなく、明・胡纉宗「病中諫劉希尹」(病中に劉希尹を諫む)詩です。

胡纉宗、字・孝思、または世甫、可泉先生あるいは烏鼠山人と号す。甘粛の出身で、明の正徳三年(1508)の進士、治水や軍事に活躍した名官僚ですが、嘉靖十八年(1539)総理河道改巡撫の職にあったとき、開封にあった役所で火事が起こり、その責任をとって辞職しました。引退後の嘉靖二十九年(1550)数え年七十一歳のときに讒言を受けて、杖四十を食らった上、官籍を剥奪されて庶民に落とされ(年金がもらえなくなり、税金を払うなどの不利益が生る)て後は著述に勤しみ、嘉靖三十九年(1560)秦安に卒す。年八十一。立派なひとなので、肝冷斎のようにデクを使ってまでもシゴトをサボろうとしたりはしなかったと思います。

 

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