沖縄観光記2 (起:平成24年9月1日(土))  目次へ  平成24年7月〜8月へ

うひひ。このページはおえらがたには気づかれていない模様。9月になったので新しいページにしてみました。

 

平成24年9月

1日 

お盆の最終日です。御先祖の霊がお帰りになる日だよ。

浦添美術館

常設の漆器展が良い。特に触れるコーナー最高。漆器の持つ、汗で冷えた女人の肌にも比すべき柔らかなにゅるにゅる感が味わえる。

宜野湾・榕樹書店

いろいろ見つけた。今日のところは手持ちが多くなかったので二冊程度で許してやったが、ここでどんどん貴重な琉球古書を買いまくっていきますよ。そうすると、「読売ジャイアンツの法則」により、貴重な書籍がわしのライバルとなるべき沖縄の若者たちの手元には行き渡らぬ。わしの部屋で埋もれていくばかりになるのじゃ。そこのところ気づかずに愛想よくしていた店主には申し訳ないことじゃがのう。

沖縄市郷土資料館

沖縄市は那覇あたりと違って、沖縄のフンイキがありますね。真昼間からおっさんやおばさんや若いのが、公園で酒飲んで歌ったり踊ったりしている。
資料館に農具あり。大正年間には本土の道具がほぼ伝わってきていた模様。「シンバ」(せんばこき)など。粘土土壌の対応して作られたスコップグエ(鍬)などもおもしかった。ゲジゲジ標本等。オニヤンマは沖縄中南部にはいないよし。いったいあのでかいのは何だろう。また、よく森で見かけるでかいカタツムリはアフリカマイマイであったことが判明した。

年中行事など、ここの資料館の展示は手作り感いっぱいながら、すごくよく出来ている。学芸員といわれる人がいるのかいないのかもわからないが、すごい優秀なひとだと思われる。反日のようだが。

越来城(ごえくぐすく)

中世首里王権と切っても切れない関係だったらしい越来城だが、現状は遺構何も無し。城跡の拝所、西森の拝所があるぐらい。

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240901goekugusuku1.jpg←越来城拝所。

知花城(ちばなぐすく)

鬼大城(オニウフグスク)の居城として名高い知花城であるが、森深く、バッタと思われる地を跳ねる蟲が無数にいてイヤになった。尺取虫も落ちてくるし。最上層に木々に隠れるように展望台あり。西の海と東の海が少しづつ見えた。鬼大城の墓があるというので探すが、道はむしむしぶんぶんの森の中に消えていくばかりであった。

沖縄戦で、沖縄市でも3000人近くが亡くなっている。その慰霊塔あり。鳥居付き。慰霊塔そばの高圧電線がぶんぶんとうるさかった。こんなに大きく鳴っている電線ははじめてである。

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240901tibanagusuku1.jpg←このへんはきれいな地帯。むしむしぶんぶんのあたりは写真撮っても見通しが悪くて状態がわかりづらいんです。

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240901tibanagusuku2.jpg←慰霊塔。(写ってる? だとしてもしようがない。そういう場所ですよ。黙祷してください。)

本日は明日、大きな使命があるため、恩納村のビーチ付きのホテルに泊まっております。

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240901niraikanai.jpg←あれ?あそこが入口か?というようなニライカナイへの道が見えた、ような気がした。盆の最終日の夕暮である。

2日

恩納村博物館

使命を果たした後、夕方ながら寄った。お金かけてありますね。海の生活、農作業、豆腐づくり、道(国頭街道、軍用1号線、国道58号)、恩納ナビの琉歌、山田城(護佐丸の生地という)の縄張り図など、展示は充実。企画展として「クモ」をやっていた。あのでかいのはオニジョロウグモであることがわかった。ほかにもかなりきついのがたくさん展示。夢に見るであろう。

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240902onnasonhakubutukan2.jpg←どこかで見たような農具が・・・。

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240902onnasonhakubutukan1.jpg←冬は寒いらしい。グトゥク、火鉢など。

仲泊遺跡

縄文の岩陰住居跡、王朝時代の国頭道跡である。草をかきわけ整備されているはずの道路を探しながら尾根まで上がる。海が見えました。正面は伊江島だね。
さらに草を分けてハブ注意の道を行ってみたが、ある場所まで来ると黄色い蝶がまつわりついて進めなくなった。このあたりで戻れということか、と思いながら、そのあたり甘いにおいがするので振り向くと、アダンだか何だかの実が熟れて、割れて果汁の出ているところに、うじゃうじゃとスズメバチさまがたかっておられた。かつて伊豆でスズメバチさまの巣どうしの争いの真下に入って九死に一生を得たことのある肝冷斎だ。「ひい」と叫びそうになるのを何とか押し殺してその場からそうっと逃げてまいりました。歯の根ががちがちと鳴ってコワかった。

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240902nakadomari1.jpg←この碑の右側から昇って行くんです。

5日

今日は国際通りあたりふらふらして、ウララ書房にて「琉球奇譚等」を確保。沖縄の若いやつらに渡してなるものか。なおCD屋さんでカラビサねーたまの「はだしの ね」を買ってきた。

8日

本土に来たさー。

堺市立博物館

関西のバリバリですからね。人権のおどろおどろしい博物館かと思ったが、人権歴史館は別にあるそうで、ここは古墳、自由都市・堺、近世・近代のモノづくり、祭礼、行基菩薩、南海ホークスなどをテーマにした博物館でした。写真撮影基本禁止なのが厳しいところですが。仁徳天皇陵前方部で明治初に露出した石棺の模型あり。形としてはUFOの模倣物であることは確実である(←トンデモ)。慶長大鉄砲には度胆抜かれる。堺の没落は大阪方に焼かれたからではなくて、18世紀初の大和川の河道つけかえにあったことがわかった。勉強になった。
また、南海ホークスが大阪球場を持つまでは堺に本拠(後にファームが使用する中百舌鳥球場)があったことを知った。
仁徳天皇陵

静謐である。一周したかったが、時間無かったのでがまんしました。
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←博物館では「倭の五王の一人が葬られている可能性がある」という変な言い回しになっていました。
開口神社

堺の町衆の信仰する神社で、与謝野晶子の実家などがここの氏子らしい。ちょうど八朔祭とて布団太鼓の山車が次々と出て行った。
説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240908sakaitaikobuton.jpg
←布団太鼓の勇壮な姿。
神社の門前町にあたる山之口通りのそばやで「カレーあげ」を食うてみた。うまかったです。こんなの食いながら死にたいぐらい。
堺環濠の一部、紀州街道、大小路(摂泉国境という)を経て南海電車に乗り、重大な使命へGO!→使命

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ちょっとお時間をいただきまして、沖縄の来訪神についてメモ。

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@   上の右側の方はミルク神。本島から八重山、先島にまで広がる有名な来訪神で、ミロク(弥勒菩薩)のことであるといい、柳田國男先生はそれを「ミミラク」「二ライ」と同源とされたので有名。この布袋さまみたいな風貌は、16世紀に安南から伝わったお面に拠るものといわれ、石垣島の仮面が最も古いということである。また、ミルクさまはこの風貌ながら女性神とされ、多数のミルク子といわれる子どもと豊作をもたらすとされる。

A   上左側のはダートゥーダー。竹富島の来訪神で、長らく民族芸能としては伝わっていたが、この間75年ぶりに実地で結願祭に来訪した。四体一組となって、古拙愛すべき単純・滑稽な踊りを踊る。囃し歌がまた「ダートゥーダー」と繰り返すばかりの単純な歌で、こちらのココロに隙間ができるとすぐにその旋律がアタマの中で渦巻き出すほど、無意識下にずどんと来る。アーシュラ・ル・グインの「こわれた腕輪」だかに「三音階しかない古い神殿歌謡」というの出てきてワクワクしますが、そんな感じ。

B   下右側のかっこいいのは西表のオホホ。ミルク神のライバルとして登場し、袋に入った財物や(実際に手に持っている)紙幣などで子ども(ミルク子である)や見物の女性をいざない、自分の妻子にしようとする。口碑では漂着?した異国人(オランダ人)で、財産を見せて家族を作ろうとするのだが、誰にも相手にされない悲しい存在なのだ、ということである。登場している間、囃し方が「おほほ、おほほほー」という甲高い特殊な声で囃し続ける。

C   下左側の宮古の来訪神パーントゥ。仮面と葉っぱをつけて泥だらけになり、パーントゥに扮した若者三人が、村人らを追い回して泥をなすりつける。泥をなすりつけられると豊作とか幸福がもたらされるというかっこいいやつである。

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12日

橿原神宮

平日に何をしているのだ? と言われれば、「わしは今週は「ほんとうのしごと」をしている」と答えるであろう。

今日は中央構造線沿いに奈良に入り、橿原神宮へ。皇紀は今年で2672年になるそうです。拝殿のヒノキの香りもすがすがしい。

その後、明日香村へ行ってみたが、あんまり時間が無かったので行ってみただけ、になってしまった。
説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240912kashiharajingu.jpg
←橿原神宮拝殿。背後は畝傍山。すがすがしく、はればれし。

14日

伊勢神宮(内宮)

尖閣にチュウゴクの軍艦(武装監視船)が大量に押し寄せてきているらしいので、国土護持を祈念しに行ってきましたのじゃ。
説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240914ise.jpg
←雨上がりの門前町。

20日

伊是名殿内の墓・銘刈古墓群

伊是名殿内は伊是名の高級士族の意。沖縄最大級の門中墓ということである。

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240920izeyadonti.jpg←何か写ってますか。コワいのでじっくりは見てない。激戦地だし・・・。

内間の大アカギ

戦火を乗り越えましたー。

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240920ooakagi.jpg

内間拝所

大アカギの裏手にある拝所。夕暮でかなりコワい感じになってきていた。もう一枚撮った写真はデジタルなのに・・・。(これ以上は言えません。)

いろいろな御嶽や神様が祀られている中に、
美女留さま

がいた。おそらく「びじゅる神」のことであろう。

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240920utimahaisyo.jpg←いろいろ並んでいるんです。

22日

沖縄県護国神社

奥武山にて、護国神社に参拝。住民の戦死者も含めて祀っているのは沖縄だけではないでしょうか。 
平成5年に両陛下がウチナー言葉の和歌を沖縄の方々に賜っているのを知った(琉歌ではないのがまたイカしてる)。両陛下にはほんとに頭さがります。テレビの全国放送でやらないところでどれだけ国民を励ましてくださっているか。

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240922gokokujinja.jpg←護国神社

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240922sinkaisyoninhaka.jpg←心海上人のお墓。階段右下(上の写真の右下の方)にあります。上人は18世紀初めごろの人で、護国寺の住持、宮古に流されたりしていましたが、当時の那覇港内の一島(今の護国神社のあるところ)に隠棲して、ここで亡くなったよし。

世持神社

一心に祈っている女性が何人か。ちょっとコワい。大黒さま、えびすさまの像あり。産業振興に功績のあった野国総官、儀間真常、蔡温の三恩人を祀る。昭和12年創設とのこと。

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240922yomotijinja.jpg←祈っているひとがいてコワいので遠くから撮影。

沖宮(おきのぐう)

琉球八社の一とされる古社で、もと那覇津にあったが、王府時代に首里安里に遷され、その後戦災等によって住所不定になっておったようです。昭和35年に奥武山の天燈御嶽がその本根であるという神託によって現在地に遷られたとのこと。弁財天のある裏側の岩の割れ目がむかしの御嶽のところなのかな。

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240922okinogu1.jpg←赤い瓦の神社建築かっこいい。裏の小山が天燈御嶽。
説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240922okinogu2.jpg
←天受久女御神さま(天照大御神)を祀る。
その後、久茂地パレットで第三十八回沖縄女流美術展を観覧。知り合いが出展しているので。「女流」ですよ。わははは。さらにその後リッカリッカ湯に寄って帰ってきました。

23日

屋良城(やらぐすく)

一〜五の郭の形が原型をとどめており、勉強になる。なお、城の東側に大川(うふかわ)按司の歴代墓地がある。大川按司は馬氏で、琉球四貴族の一とされる云々。

城から裏手のヒージャーガー、さらにそこから比謝川沿いの屋良城公園を散策し、比謝橋(昭和28年までは17世紀の石橋が残っておった。米軍がぶっ壊したという)まで行った。所有者不明の墓地多し。またある地点では強くニンゲンの屍骸の匂い(のような匂い)した。ジャングル状態でもあり、精神的にコワかった。(その後インターネッツで調べてみたら、沖縄の代表的な心霊スポットだったんです(>_<)コワ)
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←これは二の郭跡の拝所。写っているかも・・・。

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240923yaragusuku2.jpg←裏手の比謝川。ジャングル状態を歩ける。(>_<)

木綿原遺跡

読谷村の海岸にあり。本土の弥生時代に対応する時代の人骨とか出た。

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240923momenbaru.jpg←向こう側はすぐにビーチ。こちら側は米軍トリイ基地。

泊渡具知城(とまりとぐちぐすく)

比謝川の河口部にあり。15世紀の三山時代の伝説的城跡である。海蝕洞穴多く、それだけでオモシロい。こんなところ夜来たら別の次元見えてしまいまっせ。

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240923tomarigusuku.jpg←この岩山のあたりが泊城という。

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240923tomarigusuku2.jpg 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240923tomarigusuku3.jpg←あたりはこんなのです。

今日は21時ごろ浦添大公園の方で花火打ち上げております。一瞬、「ついに○ナが暴発したか・・・」と驚きましたが花火でした。

26日

天久社

琉球8社の一である。が、今日は宵に社前まで行ったけどかなりコワかったのでそこから帰ってきました。またきちんとお詣りしてから書きます。

28日

台風来るというので明日の久米島行キャンセルす。来月のスケジュールつらくなりそう。県立博物館に寄って、近代の交通関係をじっくり見てきた。

29日

台風恐ろしかった。風強かった。吹き返しもすごかった。夕方、空がカーキ色に染まっていた。

30日

識名宮

世界遺産さま「識名園」に行ったが台風の後片付けで閉園とのことでした。そこから琉球八社の一、識名宮へ。尚王家の王子さまの病気を治したので信仰を得るようになったのです。なお、廃仏毀釈を受けてないので、神応寺というお寺が付随しています(ただし沖縄戦で全壊し現在本殿石段のみ残存)。とりあえずいいところ。

説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240926sikinagu.jpg←鳥居二つくぐったところに拝殿。

御茶屋御殿跡

いわゆる「東園」。ここでチュウゴクからお見えになった冊封使のみなさまと宴会とかしたという。程順則の「東苑八景」で有名。風光明媚ゆえもあり、沖縄戦後カトリック教会のものとなった。
雨乞御嶽

国王が雨乞い祀りに来ていたところ。漢文資料には「雩」と書いてあります。那覇、豊見城等の見晴素晴らしい。
なお、この雨乞御嶽の側、立入禁止ゾーンに「午嶽」「未●」「神●」と刻まれて半分に折られたり損壊された石碑が置かれていた。なにゆえ立入禁止なのか、少しビビるところである。

説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240926amagoiutaki.jpg←雨乞御嶽。

崎山御嶽

毎年「阿母礼」が祈りに来ていたよし。

説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240926zakiyamautaki.jpg←崎山は泡盛酒造で名高いそうだが、現在のこっているのは一軒だけだそうです。

崎山遺跡

旧石器の遺跡のよし。

天久社・聖現寺

とまりんに用事があったので、そのついでに天久社に寄った。

天久社の由来についてはこちらを参照ください。向かいのマンションが昨日の台風で?ベランダの壁が壊れ、消防隊が出て何やら調べておられました。

天久社にはこの間、夜中に来てコワそうなので昼間に来なおしたわけですが、その判断、正しかったと思われます。拝殿、左に権現堂、右には御嶽、さらに権現堂の奥には・・・。ちょっと言えません。かなり印象的なものが立っていた。また、この社、地階があります。拝殿のあるフロアー?の下に階段で降りて行けるのです。そこには・・・。あわわわ・・・。ほ、ほんとにあったのか・・・。

どうなっているのか、一度見に行ってみてください。

とりあえず今日で9月は終わり。

説明: C:\Users\hfukui1\Documents\きもひえ1\DSC240926amekusya.jpg←鳥居の立っているところは駐車場。左手の階段を下りていくと拝殿等。さらにもう一階降りると・・・。ちなみに右手の方に聖現寺あり。廃仏毀釈を受けてないので、社は寺とセットであります。

 

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