あたまにデキモノみたいなのできた。痛い。お医者の話だと、ここが割れて新しい口になるらしい。今の顏は新しい顏の栄養になって無くなるみたいだよ。
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むかしむかしのことでございます。
那覇津中、大有光輝、上冲斗牛間。
那覇津中に大いに光輝ありて、上つかた斗・牛の間にまで冲せり。
那覇の港の海中に大いに光り輝くものがあり、その光ははるか上空の「斗宿」と「牛宿」のあたりまで昇るのが見られた。
二十八宿の「牛宿」は天牛星のあたり、天牛星とはいわゆる牽牛星すなわち「彦星」のことである。「斗・牛の間」というのはほとんど天頂近くのことであるが、それだけでなく、「晋書・張華伝」に神剣が放った光が「斗牛の間」まで達したとされており、天の降した神秘的なモノの発する光が届く空間として一般的だと観念されていたのであろう。
―――あいやさっさー!
国王はこれを見て大いに驚き、
令漁家撈取之。
漁家に令してこれを撈取せしむ。
漁師らに命じて、その光を放っているものを掬い取らせた。
すると、
即得枯古木一顆。
即ち枯れし古木一顆を得たり。
枯れた古い木がひとかたまり、拾い上げられたのであった。
この古木、地上では光が無かったが、その晩から那覇港に光が見えなくなったことから、光を放っていたのはこの木で間違い無いと知れた。水に沈んでいたというのであるから比重は一よりも大、しっとりと手にもなじみ、また馥郁と爽やかな香りがあって確かに尋常の木ではない。
試しに水中に沈めてみたが、那覇港の一定の場所でしか輝かないものらしく、
果無光輝。
果たして光輝無し。
それ以降、とうとう光り輝くことはなかった。
そこで国王は神託を乞い、那覇津の近くに場所を占って「沖山三社」と「臨海寺」を創建し、この木を神体として長く祀ったのであった。
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鄭秉哲編「琉球国旧記」巻七より。これがいろいろ場所をかえて、現在の「沖宮」になったということなのである。