あほなのでこんなゲームを作ってみました。役に立たないことばかりしかできなくて情けない。自己嫌悪せざるを得ず、しかしそれさえも二酸化炭素のムダと瑞典あたりのカネモチのお嬢様やその支持者に怒られるのかも知れません。
浸水被害があちこちで報じられています。被災された方はたいへんだし、災害対策のひともご苦労さまですが、わたしはお許しいただいて、今日はこれを観て、そのあと焼きザカナを食ってきた。
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そこで、サカナの話をします。
唐の張志和は文人として粛宗に仕えた後、道士となり、ついには神仙にもなったというすばらしい人生を送った人ですが、彼の詩句に
西塞山前白鷺飛、 西塞山前に白鷺飛び、
桃花流水鱖魚肥。 桃花流水、鱖魚肥ゆ。
西塞山のふもとに白鷺が飛び交い、
桃の花びらが水に流れていく季節、鱖魚はぷるぷる肉付きがよい。(「漁父歌」)
とあって、美味そうですね。
―――というこの「鱖」という魚、魚偏に「厥」(ケツ。元は古代の機械を使って打ち出す石のことをいうオモシロい字ですが、そのような石も「石」と呼ぶようになって「厥」を使う必要が無くなると、「こそあどコトバ」の「そ(の)」の意味に使われるようになります)と書くので魚の名前も「ケツ」と読みたくなりますが、漢和字典を引くと「ケイ」という音になっていました。
この「鱖」字は、「爾雅翼」によれば、
凡牛羊之属有肚、故能嚼。唯魚不然、鱖独有肚、能嚼。江南名鮰魚。
およそ牛羊の属は肚有り、故によく嚼す。ただ魚は然らざるも、鱖はひとり肚有りてよく嚼す。江南にては「鮰魚」と名づく。
ウシとかヒツジのようなドウブツはすべていぶくろがある。だから反芻できるのである。一方、魚類はそんなことはできないのだが、その中で「鱖」のみはいぶくろがあるので反芻ができるのである。「鱖」のことを、江南地方では「鮰」(カイ)と呼ぶ。
とあることから、
鱖音愧。
鱖の音は愧なり。
鱖(ケイ)の音は愧(キ)である。
ということになるんですなあ。わははは。
・・・何を言っているのかわからないかもしれませんが、実はこの「鱖」(ケイ)と「鮰」(カイ)と「愧」(キ)は、唐音では「クイ」「クイ」「クイ」となり、ほとんど同じ音だったんです。
それにしても「いぶくろ」のある魚が本当にいるものなのだろうか。
長い間疑問であったのだが、このフ「水経注」を閲していたら、
江水至魚復為巴郷村。村側有渓、多霊寿木、水中有魚、其頭似羊、豊肉少骨、名水底羊云。
江水の魚の復るに至るを巴郷村と為す。村側に渓有りて霊寿の木多く、水中に魚有り、その頭は羊に似、豊肉にして少骨、名づけて「水底羊」と云う。
長江流域で、回遊する魚が戻る限界点は、巴郷村のあたりだとされている。この村の近くには渓谷があって、神秘性のある古い巨樹がたくさんあるのだが、その渓谷の水中にある種の魚が棲息している。頭部がヒツジのようであり、肉が多めで骨が少ない。「水底ヒツジ」と呼ばれている。
という記述があった。
なーるほど、この魚は、ヒツジのような顔をしており、肉付きもいい、というのだから、ヒツジ同様のいぶくろを持っていた可能性が高いではないか。どうやらこれが鱖魚であるようだ。
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明・焦g「焦氏筆乗」巻三より。ほんとかなあ?
ちなみに、「鱖」(ケイ)は日本では「ウグイ」という訓を宛てていますが、これは日本での使い方でしかありません。明の大博物学者・李時珍大先生は、長江流域の淡水魚で、
昔有仙人劉慿、常食石桂魚。
昔、仙人・劉慿有りて、常に石桂魚を食らえり。
むかしむかし、劉慿(りゅうひょう)さまという仙人がおられて、いっつも「石桂魚」というさかなを食べておったんじゃと。
この魚は石のように固くて、石は老いることがないから、それを食べていると不老長生となるのだ・・・
という「石桂魚」(扁平で腹が大きく、口が小さくてウロコは細かく、トゲが人を刺すという)というのが「鱖」(「桂」と同音)である、としております(「本草綱目」鱖魚章)。ほんとかなあ・・・。
・・・こういう役にも立たない考証モノ大好きなんであちこち引っくり返しているうちに、またすごい時間に・・・。明日休みのはずなんで許されるか。