「ニャンニャ―ン!!! スイカのトンプソンごときに捕まるとは、怪しからんでニャ―ン!」と悔しがる悪のネコ・ニャルスだが、今回の台風では河川敷などの地域ネコが多く流されているようであり、トンプソンにつかまったのはまだしも僥倖というべきやも知れぬ。
台風のきっついのは東京都内はだいたい通り過ぎたようで、吹き返しも終わりました。朝になったらあちこちでたいへんなことになっているのがわかってくるんだと思いますが、今はコンビニも夜中の人通りも無く、静かである。
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清の時代のことですから、文化も大革命した今では知りませんが、
閩俗信鬼、家奉五帝又名五顕。
閩俗鬼を信じ、家ごとに五帝、また名づけて五顕を奉ず。
「閩」は福建のこと。
福建の風俗は精霊信心が盛んで、どこの家でも五帝神、または五顕神というのを信仰していた。
この「五帝」はチャイナ古代の「三皇五帝」といわれる立派な文化英雄神のことではありません。近世の流行神である「五帝神」あるいは「五顕神」は、五人の神さまともいいますし、一人だともいうのですが、人間の女性と淫行したり、信者の間で暴力事件を惹起したりするので、あまり立派な神さまではない、しかし現実に力を持って祟るお方、と認識されていました。
康熙三十七年(1698)のこと、その福建で、一人の下層労働者(「賤隷」)が
五帝附身。欲游江南、需船二百只供応。
五帝身に附す。江南に游ばんと欲して、船二百只の供応を需む。
「わしの体には五帝神が乗り移られたのじゃー!! これより江南地方に出かけるぞ、みなのもの、二百隻の船を用意してくれい!」
と言い出した。
其船以紙為之。
その船、紙を以てこれを為す。
その船は「紙で作れ」ということであった。
ということなので、もともとそんな大げさなことを考えていたのではないかも知れません。
しかし、これが人民たちの間に爆発的に受け入れられて、
愚民煽惑、計口斂銭。而尤刻于孕婦、派銀倍之。
愚民煽惑せられ、計口して銭を斂む。しかして尤も孕婦に刻にして、派銀これを倍す。
オロカな人民どもは煽られて混乱し、人数ごとにお金を寄付した。中でも妊婦に厳しく、提出する銀貨は(胎児の分も含めて)二人分とされた。
より弱いモノにより厳酷とは、いかにも愚民らしい行動様式ですね。現代の賢いみなさんはもちろん、そんなことしませんけどね。
こうして、たとえ紙の船とはいえ、
采繢鮮新、帆檣鐘鼓、几案簾帷、種種備具、毎船約費銀三百両、送神迎神挙国狂驚。
采繢は鮮新にし、帆・檣・鐘・鼓、几・案・簾・帷、種々備具して、毎船約(ほぼ)銀三百両を費やし、神を送り神を迎えて国を挙げて狂驚す。
塗料や飾りの色も鮮やかでぴかぴかと、帆、ほばしら、鐘、太鼓、机、テーブル、窓のすだれ、カーテンなど、すべてホンモノ同様に具えて、一隻ごとにだいたい銀三百両(三百万円ぐらいのイメージでしょうか)かけて製作し、あちこちで神さまを出迎え、神さまを送るという行事を開催して、福建中狂ったようになった。
いわゆる集団ヒステリー状態になったわけです。みなさんはもちろん、そんなことしないと思いますが・・・。
「なにが起こっておるのじゃ?」
このとき、福建総督は郭世隆さまであった。
総督はこの騒ぎをお聞きになって、
「怪しからん」
とお怒りになり、
緝造言賤隷、鞫之尽得其妄、即置之法、遂行各属令亟毀其祠。
造言の賤隷を緝(とら)え、これを鞫(きく)してその妄を尽く得て、即ちこれを法に置き、遂に各属を行かしめて、その祠を毀(こぼ)たしむ。
デマを流した下層労働者を捕らえて、きっつくお調べになり、そのウソをすべて確認し、すぐにこいつを法定の刑罰に処して(もちろん見せしめにきっつい死刑である)、さらには部下に命令して、家ごとにある、というほど多数の五帝神の祠を破壊させることにした。
「中央政府にお伺いを立ててからでよいのでは・・・」
という人もいたそうであるが、総督は、
祠非奉勅所建、拆祠毀像、乃職分当行。況現奉文除淫祠耶。
祠は勅を奉じて建つるところにあらず、祠を拆(さ)き像を毀つも、すなわち職分にしてまさに行うべし。いわんや、現に文を奉じて淫祠を除かんとするをや。
「この神を祀る祠は、皇帝のご命令で作られたものではないのだから、祠をぶっ壊し、神像を破壊したとしても、すべてわしの権限の範囲内として実行できることじゃ。おまけに皇帝からは、(一般論として)余計な下等の精霊を祠るほこらを無く(して人民が無駄遣いをせぬように)してやれ、という命令文も(任命の時に)いただいているのだぞ」
と言いまして、隷下の郡県に指示を出して、祠を壊させ、五帝神の信仰を今後一切禁止する旨を布告した。
このとき、州府から八百里(320キロぐらい)離れたところに、
有山崇奉五顕、人遂称為五顕嶺、廟貌之麗甲于閩中。
山有りて五顕を崇奉し、人ついに称して「五顕嶺」と為して、廟貌の麗なること閩中に甲たり。
五顕神信仰の篤い山があった。ひとびとはここを「五顕神嶽」と呼んでおり、そこのおやしろの建物は、美麗なること福建一番、といわれていた。
数百キロ離れているので、そこまでどれだけ急いでも十日ぐらいかかるのですが、
是日台符未到、野火自起、与会城諸祠同日灰燼、人尤異之。
この日、台符いまだ到らざるに、野火おのずから起こりて、会城諸祠と同日に灰燼せる、人もっともこれを異とせり。
破壊命令が発令されたその日、命令書がいまだ到着してもいないのに、山火事が自然発火して、そのおやしろを州府の多くの祠と同じ日に焼き落としてしまった。ひとびとはたいへん不思議なことだと感じ入ったのである。
郭公此挙可為快意。
郭公の此の挙、意を快にすと為すべし。
郭総督のこの行動は、ひとの心をスカっとさせるものであった、ということができよう。
すばらしいことをしてくれたなあ。ありがたいなあ。
・・・なんですが、その後も福建では、長く五帝・五顕神信仰が盛んに続いたのでございます。
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「茶客余話」巻四より。今日は台風で外出してもやることないので読書でもしようと思いましたが、あまり進みませんでした。それでもこの本はオモシロいのでちょっとだけ読んだので、今日読んだ中で一番タメになりそうな章をご紹介しました。え?「どういう点でタメになるのか?」ですか。こんなオロカな民になっていはいけないなあ、という勉強になるではありませんか。
今日はそのほかは下のような本を10ページぐらい読むとすぐ厭きるので次々と読んでただけなので、タメにならないんです。結果としてまた一日を無為に過ごしてしまったというわけである。(涙)
「のらくろの教え」により、できるだけ多くの本を並行して読むことにしています(こうすると「オモシロくない本でも読める」そうなんです)。したがって遅読と譏らるべく、先月沖縄で読んでた本をまだ読んでいるのもあります。しかし「御堂関白記」は中巻になっているぞ。じわじわと進んでいるのだ。