「この事件の下手人はブタやくざかネコやくざにちげえねえぜ。おい、モグ八、おまえちょいと行ってあいつらをふんじばってきなでぶー」「そんなきっついシゴト、願い下げでもぐ、ぶた同心のだんながやってくれでもぐー」「わ、わしはいろいろ忙しいのでぶじゃ」
明日は台風のきっついのが来るらしいんです。おいらは免れたが、明日出勤とかきっついシゴト命じられている人もいるんだろうなあ。
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チャイナのいにしえの帝王は、その治世がよく治まると、泰山において封禅なる儀式をするのが常例であったという。
斉の桓公(在位前685〜前643)が葵丘(ききゅう)の会を開いて覇者となった(前651)後、宰相の管仲に言った、
既覇、会諸侯於葵丘、而欲封禅。
既に覇たり、諸侯を葵丘に会し、而して封禅をせんと欲す。
「わしはすでに(周王から)覇者として認定された。諸侯のみなさまを葵丘に集めて同盟もさせた。そこで、封禅の儀式をしてみようと思うのだが、どうであろうか」
「はあ(。また要らんことどこかで吹き込まれてきたみたいだぞ)」
管仲は答えて言った。
古者封泰山、禅梁父者七十二家、而夷吾所記者十有二焉。
いにしえ泰山に封じ、梁父(りょうほ)に禅せるもの七十二家、而して夷吾(いご)の記するところのものは十有二のみ。
「古来、山東の泰山に台を築いて(天に祈り)、その近くの梁父(りょうほ)の山で禅(はら)いを行い、いわゆる「封禅」の儀式をした方は七十二人おられるといいますが、この夷吾(いご)がはっきりと記録を確認しているのは、十二人だけでございます」
「夷吾」(いご)は管仲の字。管仲が自称しているんです。
「その十二人とは、
無懐(むかい)←この名前は他の書には出ない。それぐらいすごい超古代のひとなんでしょう。
伏羲(ふっき)←八卦を作り人類文明を創始したといわれる超古代のひと。
神農(しんのう)←農業や医術を創始した文化英雄。
炎帝
黄帝
顓頊(せんぎょく)
帝コク(「𦥯」の下に「告」)
尭
舜
禹(夏王朝の始祖)
湯(殷王朝の始祖)
成王(周の二代目)
でございますが、
皆受命然後得封禅。
皆、命を受けて後に封禅するを得たり。
みなさん、天命によって「王」となられてから、封禅の儀式を行っておられますなあ」
桓公は「王」ではありません。「王」を助ける「覇」でしかない。封禅のそもそもの資格がない、というのである。
桓公は言った。
「わしは北の方に山戎を討伐し、孤竹の向こうまで遠征した。西の方に大夏を討伐し、砂漠の砂の河を渡って、馬の手綱を束にして持ち、車を牽かせて峻険な卑耳の山に登った。南の方を討伐して、召陵に至り熊耳(ゆうじ)の山に登り、長江と漢水を見下ろした。諸侯の軍隊を集める会合を三回、平時の会合を六回、主宰した。
九合諸侯、一匡天下、諸侯莫違我。昔三代受命、亦何以異乎。
諸侯を九合し、天下を一匡して、諸侯我に違うなし。昔、三代の命を受くると、また何を以て異ならんや。
諸侯を九回集めたわけで、これによって天下を一本に正しく戻したが、諸侯は誰もわしに反対しなかった。むかし、夏・殷・周の三王朝が天命を受けて王となったときと、いったい何が違うというのか」
(ああ、もう、うるせえなあ)
於是管仲睹桓公不可窮以辞、因説以事。
ここにおいて、管仲は桓公の辞を以ては窮むべからざるを睹(み)、因りて事を以て説けり。
こうなっては、管仲は桓公が議論では納得しようとしないのがわかったので、今度は事物を以て説得することにした。
「えーとですなあ。
古之封禅、鄗上之黍、北里之禾、所以為盛。江淮之間、一茅三脊、所以為藉。東海致比目之魚、西海致比翼之鳥、然後物有不召自至者十有五焉。
いにしえの封禅は、鄗上の黍、北里の禾ありて、以て盛と為す所なり。江淮の間に一茅三脊ありて、以て藉(しゃ)と為す所なり。東海は比目の魚を致し、西海は比翼の鳥を致し、然る後、物の召(まね)かずして自ら至るもの十有五有り。
昔から、封禅をしようということになりますと、鄗(こう)の特産のキビと、北里特産のイネがまず必要で、これを器の盛って神霊への供え物にいたさねばなりません。長江と淮水の間の湖沼地帯に生長する茅一種類と丈の高い草三種類を編んで器を据える敷物にしなければなりません。東の海岸地方からは、体のそれぞれ片側にしか目が無く、二匹そろってやっと左右の目がそろうので、いつも並んで泳いでいる「目をならべる魚」、西の海岸地方(地中海沿岸か?)からは、体の左右に一つづつしか羽が無く、二羽そろってやっと左右の羽になるので、いつも並んで飛んでいる「翼をならべる鳥」が献上されてこなければなりません。これら以外にも、こちらから集めなくてもおのずと献上されてくる特産品が、あと十五種類必要でございます。
しかし、
今鳳凰麒麟不来、嘉穀不生。而蓬蒿藜莠茂、鴟梟数至。
今、鳳凰・麒麟は来たらず、嘉穀生ぜず。而して蓬(ほう)・蒿(こう)・藜(れい)・莠(しゅう)茂り、鴟(し)・梟(きゅう)しばしば至る。
現在のところ、(集まってくるはずの)鳳凰や麒麟は来ておりませんし、縁起のいい穀物は発生しておりません。その一方で、悪の草であるよもぎ・くさよもぎ・あかざ・ねこじゃらしの類が生え繁り、悪の鳥であるとびやふくろうがギャアスカギャアスカと多数やって来ているではありませんか。
而欲封禅、毋乃不可乎。
而るに封禅を欲す、すなわち不可なるなからんや。
それなのに、封禅の儀式をしよう、とおっしゃっても、必要な物がないのですからどうしようもございません」
「そうか、それならしようがないなあ。物がそろわないのだからなあ」
於是桓公乃止。
ここにおいて桓公すなわち止む。
こうして、桓公さまはその要望をお止めになられたのである。
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「管子」封禅第五十より。めんどくさい上司を納得させることができました。すばらしい。おいらも今度めんどくさいことやれと言われたら
「わが社には、よもぎ・くさよもぎ・あかざ・ねこじゃらしの類が生え繁り、とびやふくろうがギャアスカギャアスカと多数やって来ているではありませんか。どうしようもございません」
と言ってみます。上司が怒りでぶるぶるしながら「むむむ、そ、それでは、し、しかたないのう・・・」と言うのを見るのが楽しみだなあ。