令和元年10月9日(水)  目次へ  前回に戻る

どんな事件もたちまち難事件にしてしまう二人組、ぶた同心と岡っ引きのモグ八だ。彼らの推理力を蔽う迷妄も、また宿業のなせるワザであろうか。

今日も頭痛が原因で頭が痛く、活動が不活発な動きが続く。過去世に作った因業のせいであろうか。

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もう何十年もエンゲル係数高い。

これに対し、

東家一老婆、 東家の一老婆、

富来三五年。 富み来たること三五年。

 東隣りのばばあは、

 この三年から五年ぐらい、いい羽振りだ。

憎たらしいなあ。

昔日貧於我、 昔日は我よりも貧しきに、

今笑我無銭。 今は我の銭無きを笑う。

 それ以前はわしよりも貧乏だったのに、

 今ではわしのおカネの無いのを笑っているのだ。

以前はわしの方がばばあを笑っていたのに・・・。

つまり、

渠笑我在後、 渠(かれ)の我を笑うは後に在りて、

我笑渠在前。 我の渠を笑うは前に在り。

 向こうがわしを笑う、というの状態が時間的には後にあって、

 わしが奴さんを笑う、というの状態が時間的には前にあったわけだ。

時間軸がめぐればまた立場は逆になるのかも知れない――――。

ああ、こんなふうに

相笑儻不止、 相笑いて儻(も)し止まずんば、

東辺復西辺。 東辺また西辺なり。

 お互いが相手を笑い合うという、こんなことをもしもいつまでも止めなかったら、

 いつまでも東の方が笑ったかと思うとまた西の方が笑うのだ。

いつまで経っても終わりがない。

輪廻を続けて、この世から脱け出せんのだぞ。

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「寒山詩」より。そんな状態におれを追い込んだのも、隣のばばあだ。憎らしい・・・と、放っておくと永遠に続く宿業から、おいらはそろそろ脱け出すよー。おそらく、ばばあなんてそもそもいないんです。ただのおいらの作った因果のねじれがばばあの形をとって見えているに過ぎないのだ。

 

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