おまじょさまの料理は、どんなに工夫しても、いつも「毒」のようなものが出来るらしいのである。
今日は雨の中、おしりを観に行ってきました。へへへ、目の毒だぜ(というほどでもないのだが)。
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そこで、今日は毒の話をします。
宋の徽宗皇帝の政和初年(1111)、
上始躬攬権綱、御馬新巡大内。至後苑東門、有一庫無名号。
上、始めて躬(みずか)ら権綱を攬(と)り、馬を御して大内を新巡す。後苑の東門に到るに、一庫の名号無き有り。
皇帝は、即位後(11年経っていますが)初めて、自ら手綱を取って、馬に乗って宮中をお巡りになられた。宮中の裏庭の東門まで来たところ、名前も番号も無い倉庫が一つ、ひっそりと建っているのに気づいた。
風流皇帝として名高く、特に絵画については、唐・玄宗の音楽がそうであるように、おそらく歴代第一位の天才でいらっしゃる徽宗皇帝、
「これはなんであるか?」
と質問しましたところ、宮中務めの長いおつきの宦官が答えていう、
乃貯毒薬之所也。
すなわち毒薬を貯うるのところなり。
「これは、毒薬の貯蔵庫にございます」
「ど、毒薬? な、なんに使うのであるか?」
前代用以殺不廷之臣者。
前代、以て不廷の臣を殺すに用うるものなり。
「先代さままで、思い通りにしてくれない大臣がおられますと、その方をおコロしになるために使っていた・・・ような・・・」
「むむむ・・・」
徽宗皇帝は無能みたいなこと言われて後世批判されていますが、基本的に常識人なので、
詔命罷之。
詔りしてこれを罷むを命ず。
すぐさま詔を出して、この倉庫を廃棄させた。
しかしこの廃棄の過程で、不注意で死んだ者の数は、十人では効かなかったということである。
ウワサによれば、
薬共七等、鴆鳥猶在第三。
薬はともに七等にして、鴆鳥すらなお第三に在り。
毒薬は七階級に分けられており、その羽を浸したスープを呑んだ者は必ず死ぬという超猛毒の鴆(ちん)(の羽)でさえ、第三級にしかなっていなかった。
其上有手触鼻嗅而立死者、更不知何薬也。
その上に、手に触れ鼻に嗅げば立ちどころに死するもの有るも、さらに何の薬なるやを知られざりき。
それより上の等級には、手が少し触れたり臭いをわずかに嗅いだだけで、ほんとうに瞬時に死んでしまうものがあったということだが、いったい何を使った毒薬であったのか、記録にも残されていない。
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清・梁紹壬「両般秋雨盦随筆」巻三より。瞬時にコロしてしまうのは、もったいないですなあ、もっとじっくりと・・・ひっひっひっひっひ。
普段はそんなに残虐ではない我らであるが、明日から平日なので、我らが心も毒々しくなってきているのである。