令和元年10月14日(月)  目次へ  前回に戻る

おまじょさまの料理は、どんなに工夫しても、いつも「毒」のようなものが出来るらしいのである。

今日は雨の中、おしりを観に行ってきました。へへへ、目の毒だぜ(というほどでもないのだが)。

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そこで、今日は毒の話をします。

宋の徽宗皇帝の政和初年(1111)、

上始躬攬権綱、御馬新巡大内。至後苑東門、有一庫無名号。

上、始めて躬(みずか)ら権綱を攬(と)り、馬を御して大内を新巡す。後苑の東門に到るに、一庫の名号無き有り。

皇帝は、即位後(11年経っていますが)初めて、自ら手綱を取って、馬に乗って宮中をお巡りになられた。宮中の裏庭の東門まで来たところ、名前も番号も無い倉庫が一つ、ひっそりと建っているのに気づいた。

風流皇帝として名高く、特に絵画については、唐・玄宗の音楽がそうであるように、おそらく歴代第一位の天才でいらっしゃる徽宗皇帝

「これはなんであるか?」

と質問しましたところ、宮中務めの長いおつきの宦官が答えていう、

乃貯毒薬之所也。

すなわち毒薬を貯うるのところなり。

「これは、毒薬の貯蔵庫にございます」

「ど、毒薬? な、なんに使うのであるか?」

前代用以殺不廷之臣者。

前代、以て不廷の臣を殺すに用うるものなり。

「先代さままで、思い通りにしてくれない大臣がおられますと、その方をおコロしになるために使っていた・・・ような・・・」

「むむむ・・・」

徽宗皇帝は無能みたいなこと言われて後世批判されていますが、基本的に常識人なので、

詔命罷之。

詔りしてこれを罷むを命ず。

すぐさま詔を出して、この倉庫を廃棄させた。

しかしこの廃棄の過程で、不注意で死んだ者の数は、十人では効かなかったということである。

ウワサによれば、

薬共七等、鴆鳥猶在第三。

薬はともに七等にして、鴆鳥すらなお第三に在り。

毒薬は七階級に分けられており、その羽を浸したスープを呑んだ者は必ず死ぬという超猛毒の鴆(ちん)(の羽)でさえ、第三級にしかなっていなかった。

其上有手触鼻嗅而立死者、更不知何薬也。

その上に、手に触れ鼻に嗅げば立ちどころに死するもの有るも、さらに何の薬なるやを知られざりき。

それより上の等級には、手が少し触れたり臭いをわずかに嗅いだだけで、ほんとうに瞬時に死んでしまうものがあったということだが、いったい何を使った毒薬であったのか、記録にも残されていない。

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清・梁紹壬「両般秋雨盦随筆」巻三より。瞬時にコロしてしまうのは、もったいないですなあ、もっとじっくりと・・・ひっひっひっひっひ。

普段はそんなに残虐ではない我らであるが、明日から平日なので、我らが心も毒々しくなってきているのである。

 

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