なんとか週末。多くの難題がし遺された来週の恐怖におののきつつ、今宵は眠る。
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眠る前に書いておきます。
風俗が純朴で、民の生活ぶりが正しいと、神が出現して言葉を伝えることがあります。沖縄のひとびとはこれを
君真物(きみまもん)
と呼ぶ。
これらの神が出現して言葉を伝えるときは、必ず女の人に降るので、ひとびとはこのような女の人を
女君
と呼びます。
神は二回結婚していない(つまり一回しかしていない)女性をカタシロとして彼女に降り、これまで何度も何度もくすしきことを行ってきた。
国有不良、神輙告王指其人、擒之。故国人辣然、畏憚、不敢侮侵。
国に不良有れば、神すなわち王に、その人を指してこれを擒えんことを告ぐ。故に国人辣然として畏れ憚り、あえて侮侵せず。
国内に悪いやつがいると、神は、王さまに対して、悪いやつを名指ししてそれを逮捕するように告げる。だから沖縄のひとたちはピリピリして(神を)畏れ、はばかって侮ったり無礼なことをしたりはしないのである。
ところで、
其神不一名亦不同焉。
その神は一名ならず、また同じからざるなり。
出現して言葉を伝える神の名前は一つではない。名前が違うのは、違う神さまだからである。
そうでして、神さまの名前が列挙されている。
○富津加久羅神(ふつかぐらのかみ)
天神なり。この神の所掌の職、今考え難し。
○儀来河内神(ぎらいかない(ニライカナイ)のかみ)
海神なり。この神の所掌の職、今考え難し。
○君手摩神(きみてずりのかみ)
天神なり。この神すなわち国君登位し承統すれば、一代に一次出現。国君の万歳の寿を祝いて二七日詫游。今に至るまで相伝うるの御唄なるものはすなわちその時の託宣なり。
(王が即位したときに一代に一回出現する神。二七=14日間の間国内にとどまる。王室に伝えられる「御唄」(オモロ)はこの時に(女神官を通じて)託宣されたものである。)
○新懸神(あらがかりのかみ)
海神なり。この神、五年に一次、あるいは七年に一次出現。およそ人の心志誠篤なる者の家に、この神みずから来たりて寿を祝い年を延べ・・・また、人の行い不善なる者、この神宣言して刑罰を加う。これまた二七日の詫遊なり。
○荒神(あら(アーラ)がみ)
海神なり。この神、三十年に一次、あるいは五十年に一次、世道衰微し不仁乱逆の徒のほしいままの心に衡行するとき、神すなわち出現。刑罰を加う。これ罰を懲らし善を勧むるの神なり。二七日詫遊。必ず「奥」に出現す。故に俗に云う
奥之公事(おくのくじ)、と。
「奥」は国頭地方の地名。そうか、あのへんに出現するのか・・・。ちなみに「くじ」は「奇(く)し」であろう。
○浦巡神(うらめぐりのかみ)
天神なり。この神もまた国君一代に一次出現。国土を徧巡して国祚を護衛するの神なり。
○与那原公事(よなばるくじ)
陰陽を兼ぬるの神なり。この神は聞得大君の初めて詫するの時、詫遊をなす。二七日の詫遊なり。与那原(首里の東側の港町)に出現。故に俗に与那原公事と云う。
○月公事(つきくじ)
天神なり。この神は毎月一次出現。国祚を護衛し国君万歳の寿を祝う。一日の詫遊なり。
○河内君真物(かないきみまもん)
海神なり。この神、春三月夏六月秋九月冬十二月、一年に四次の出現。これまた国運を護衛するの神なり。毎季七日詫遊。故に俗に「七之公事」(ひちのくじ)と云う。
○五穀神(ごこくのかみ)
五穀を護衛するの神なり。節ぶしに出現す。
むかしのひとびとは心が素朴で信じることが極めて深かった。老人たちが伝え言うように、いにしえびとは心篤実なれば神は常にかれらを護り、祈りがあれば答えがあったのである。たとえば海賊どもが攻めてきたとき、
神輙化其米為沙、其水為鹹、或使寇賊為盲唖、忽然颶風遽起舟皆沈覆崩裂。
神、すなわちその米を化して沙と為し、その水を鹹と為し、あるいは寇賊を盲唖と為さじめ、忽然として颶風にわかに起こりて舟みな沈覆、崩裂せしむ。
守り神は、すぐに賊の保有する米を砂に、水を塩水に変化させてしまって苦しめ、あるいは海賊どもの目を見えなく、言葉を話せなくし、さらには突然暴風を起こして、彼らの船を沈没させ転覆させ崩壊させ分裂させしめたのだった。
ところが
至後世人心機巧、臨祭懈怠。故護衛之神不復常見言爾。
後世に至りては人心機巧となり、祭に臨みて懈怠す。故に護衛の神、また常には見(あらわ)れざるなり、と爾(しか)言えり。
時代が下るとひとびとの心は打算で動くようになり、神の祀りの際に心に隙が出来るようになった。このため、守り神さまは、いつもいつも出現するということは無くなってしまったのである・・・と言うことじゃ。
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へー、そうなんだ。鄭秉哲等編「球陽」巻一より。
いろいろ並べるとオモシロいでしょう。「天神」と「海神」とどう違うのかわからんがその二つに分類しないと気が済まないようです(陰陽を兼ねる、というのがどういう意味かもよくわからん)。あらがかりの神やアーラ神と東国の古層の神といわれる「アラハバキ」神との関係も気になりますね。
「球陽」は延享二年(1745)の成立ですが、一世紀前の「中山世鑑」やもう少し前の「琉球神道記」、あるいは同じ時代に各地の神さまの名前を記した「琉球国由来記」の記述、さらには各地域でのフィールドワークによって得た神名を並べて分析すると、何かもっとオモシロいことがわかりそうに思います(こいつとか「キミテズリ」、こいつとか「をうできう」)が、沖縄行かせてくれないから飛行機の乗り方も忘れた状態なので、研究が進みません。悲しいなあ。・・・そうだ、東北行こう。