シゴトなどの都合により、冬なのに温帯で暮らさなければならないなんて、ふざけた話ではないでしょうか。・・・と言いたいぐらい寒かった。
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清の乾隆年間のお話。
福建に勤務していた曹縄柱という人がいうには、あるとき、役所で福建の総督を始めとする各部局の長官の会議を開いていたのだそうである。
会議では昼飯が出た。
上食未畢、一僕携一小児過堂下。
上食いまだ畢わらざるに、一僕の一小児を携えて堂下を過ぎるあり。
昼飯をまだ食べ終わらないぐらいのころ、一人の下役が子どもを連れて、会議場の前を通り過ぎた。
ところがどういうわけか会議場の前で、
小児驚怖不前、曰、有無数奇鬼。
小児、驚怖して前(すす)まず、曰く「無数の奇鬼有り」と。
子どもがびっくりし、恐怖して立ち止まってしまったのである。下役が「どうしたのだ?」と訊くと、
「た、たくちゃんのすごいコワい姿の精霊さまが、そこに居られるではありませんか!」
と会議場の方を指さしたのである。
「な、なにを言っているのだ、中にいるのはおえらがたばかりで・・・」
「ちがうのでっちゅ。そのおじさんたちではなくて、
皆身長丈余、肩承梁柱。
みな身長丈余にして、肩にて梁柱を承く。
どの精霊の方もみな身の丈2メートル以上で、肩で柱や梁を支えておられるではありませんかー!」
「そんなものはおらんぞ!」
「いまちゅよ、コワいよー、うわーーーん」
子どもは泣きはじめた。
「なんだ?」「なんだ?」「どうした?」
衆聞号叫、方出問。
衆、号叫を聞き、まさに出でて問わんとす。
出席者たちはコドモがぴいぴい泣いているのを聞いて、みな部屋から出てきて何事が起こっているのか訊ねようとした。
みんなが会議室を出た瞬間、
承塵上落土簌簌、声如撒豆。
承塵の上より土を落とすこと簌簌(そく・そく)として、声は豆を撒くが如し。
天井板の上からぱらぱらと土が落ちてきた。その音は、まるで豆を撒くかのようであった。
「これは・・・」「いったい・・・」「い、いかん!」
急躍而出、已棟摧倒地矣。
急躍して出づるに、すでに棟は摧(くだ)けて地に倒れたり。
みんな大急ぎで跳びはねるようにそこを離れたのだが、それと同時に建物は崩れ地面に倒れたのであった。
少しでも逃げ遅れればみんな圧死するところであった。
子どもの方はもう泣きやんでおり、訊くと、
「おじたまたちが部屋を出てきたら、精霊のみなちゃんはお互いに顔を見合わせ、頷きあって、どこかに消えていかれまちた。そうしたらお部屋が崩れたの」
と答えた。
みな、
額手謂鬼神護持也。
手を額にして謂う、「鬼神の護持せるなり」と。
みんなで、額に手を当てて、「精霊さまがお守りくださったのじゃなあ」と感謝したのであった。
―――ここまでのお話が共通です。このあとに、次のAが続く本と、Bが続く本があります。
A・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この話を聞き、同僚の定長という人、「ああ」と嘆息して言う、
既在在処処有鬼神護持、自必在在処処有鬼神監察。
既に在在処処に鬼神の護持有り、おのずから必ず在在処処に鬼神の監察有らん。
「こんなふうにありとあらゆるところで精霊さまがお守りくださっているわけだ。ということは、確実に、ありとあらゆるところで精霊さまは我々の言動を見張り、善い行いをしているか悪い行動をしているか、チェックしておられるのであろう」
心しなければならないことである。
B・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この話を聞いて、某というひとが州や県の課長クラスを務める若手の役人たちに向かって言ったことには、
若諸大僚一時併命、諸君皆得攝視司篆矣。
もし諸大僚一時に併命せば、諸君みな司篆を攝視するを得ん。
「残念。もしそこで高官の方々がいっぺんに命を失くしておられたら、おまえさんたちはみんな高官の事務代理になれたのになあ」
と。
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みなさんは、A,Bどちらが心にフィットしますか。
ちなみにAの続く本が紀暁嵐「閲微草堂筆記」(巻六)、Bが続くのが袁枚の「新斉諧」(又の名を「子不語」)です。どちらも清代の大ベストセラーですが、今回の福建でのお話については、Aの方がひとを戒める道義的なものになっていて、読者のタメになるので良いように感じます。一方、Bの方はただの「ふざけたお話」に堕してしまっているのではないでしょうか。ただし、そういう道徳的な「善」を文学的な「美」と同置するような考え方をこそ、随園先生・袁枚は否定したかったのでしょうけど。
いずれにせよ、このお話の「一小児」(コドモ)のようなやつが「見鬼者」という異能力者です(→ここらへん参考「彭君卿」 「一青物」)。この能力があると、あちこちにいる霊的な存在が見えるらしい。おいらは見えなくてよかった。