拘泥斎です。だいぶん涼しくなり、空気も澄んでまいりました。
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唐の中宗の時代(684、705〜710.これは武則天の後を受けて再度登位した神龍(701〜703)・景龍(703〜705)年間のことであろう)、「見鬼師」(精霊使い)の彭君卿なる者がおりました。
彼は宮中や中央官庁に出入りして、高貴の方々の依頼を受けてまじないや祈祷のことを行っていたが、あるとき謀叛に関わったのではないかと御史(検察官)に取り調べを受けたことがあった。
疑いは晴れたのだが、彭はこの御史にふくむところが残った。
ある日、官僚たちが集まって討議をしているところへ、覆面をした宦官が現れ、皇帝の勅だと称して、御史に対して
去却巾帯。
巾帯を去却せよ。
「頭巾を取り外せ」
と命じたのであった。
「あ、あれれ? からだが勝手に・・・」
御史の体は勝手に動きだし、自分で頭巾を外してしまった。(当時は、人前で頭巾も冠も外して頭を曝け出すのは大変恥ずかしいこととされておったのである。)
続いて、宦官は
有勅与一頓杖。
勅有り、一頓杖を与えん。
帝の仰せである。一発、杖で殴らせていただく。
と言ったのであった。
「待たれよ」
とこれに大使(御史の上官)が異議を申し立てた。
御史不奉正勅、不合決杖。
御史は正勅を奉ぜずば、杖を決するべからず。
「御史の役職にある者は(他の官僚から恨まれるので)、帝の正式の勅書が無ければ杖罪に処することができない決まりじゃ」
すると覆面の宦官は、突然、まるで操り人形の糸が切れたかのようにその場に頽れた。ひとびと駆け寄ってみるに、そこには覆面と衣服があるばかり。
代わりにどこからともなく彭君卿の声が聞こえ、
若不合有勅、且放却。
勅有るべからざるがごとければ、しばらく放却せん。
「どうも正式の勅書は無いようだから、しばらくの間は許しておこうぞ」
声が消えると、
「あ、あれれ? また・・・」
御史はまた勝手にからだが動き、
裹頭、舞踏拝謝而去。
頭を裹(つつ)み、舞踏し拝謝して去る。
外した頭巾で頭を包なおすと、くるり、くるり、と一踊り。それから並びいる官僚たちにお辞儀をすると、その場からいなくなってしまった。
「なんということじゃ・・・」
観者駭之。
観者これに駭けり。
その場に居合わせた者たち、みな大いに驚いた。
ということである。
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空気が澄みきってくると、みなさんを操っている誰かの操り糸も目に見える・・・ような気がしてきませんか。え? 操られている自覚ない? それはそれは・・・。
ちなみにわたしは今日も誰かに操り糸で操られるようにどんどん自分で落とし穴掘った。明日はそれに嵌まる予定。「見える」のもつらいことじゃ。