ふう。拘泥斎です・・・。少し弱ってきました。心の力が弱いので。
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北宋の真宗のころとも仁宗のころとも申しますが、皇后が亡くなったというので葬儀を行うこととなった。先例により「兄弟の国」である契丹(北朝)から使いが来て、「祭文」(死者の霊を祭る文章)を届けてきた。
葬儀の当日、北朝の使者も列席する中で、この祭文が読み上げられることになっておりました。読み上げるのは皇帝お気に入りの文人・楊億、字・大年。少しく依怙地なところのある学者肌のひとだが、風采は立派で、文章も朗々と読む。何より博踪の巨書「冊符元亀」の編者、契丹の使いにも恥ずかしいことはまったく無いであろう。
葬儀が始まりました。
やがて式次第とどこおりなく進んで北朝祭文の朗読の儀となった。
係官から祭文の入った封書を渡され、棺の前に進んだ楊億、封を切って書を開いたところでその顏に驚きが走ったのを誰もが見た。
なんと。
どこでどう手違いがあったのか、
空紙無一字。
空紙にして一字も無し。
白紙で、一文字も書かれていなかったのだ。
それは少し離れた玉座に座る皇帝からも、その隣、少し下がったところに正客として座している北朝の使者からもよく見えた。使者の顔面、蒼白となり、皇帝もどうなることかと固唾を呑んだ。
と―――
楊億は突然、白紙を手にしたまま、祭文を読み上げ始めたのである。
惟霊、巫山一朶雲、閬苑一団雪、桃源一枝花、秋空一輪月。
この霊、巫山の一朶の雲、閬苑の一団の雪、桃源の一枝の花、秋空の一輪の月なり。
「巫山」は戦国の時代、楚の王が夢に結ばれたという女神の住む山。女神はその山で、朝には雲、夕べには雨となるといわれる。「閬苑」(ろうえん)は崑崙山中にありとも東海蓬莱にありともいう仙人の棲処。「閬苑仙娥」(ろうえんせんが)と熟しますと、「閬苑に住む美しい仙女さま、のような美しいひと」の意になります。要するに、「巫山」も「閬苑」も神や仙人の住むところなのですが、いずれも女神や仙女を連想させる固有名詞なのである。
みたまよ―――。
あなたは、巫山のひとひらの雲のような、閬苑のひとかたまりの雪のような、あるいは桃源郷の桃の一枝、あるいは秋空に浮かぶ一輪の月のような、美しく、神秘的なみたまであられた。
豈期雲散雪消、花残月缺。
あに雲散り雪消え、花残し月缺くるを期さんや。
通常の雲ならば散り、雪ならば消え、花ならば落ち、月ならば欠ける―――けれどもあなたは、そんなふうにはならないと思っていた。
云々。
すいません、以下は記録に残っていないので引用のしようがないのですが、とにかく立派な祭文をとうとうと、一度も口ごもることもなくうたいあげたのだ。
北朝の使者は安堵し、皇帝は大いに誇らしげであったという。
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宋・兪成「蛍雪叢説」より(「宋人軼事彙編」所収)。いやー、あたまもいいし度胸ある。大したひともいたもんですなあ。では今日はこのへんで・・・
と寝ようとしましたら、
「おいおい、だから何なのだ?」
とお叱りの声。
「いや・・・、特に何のために何かを言いたい、というようなことは無いのですが・・・」
と自己弁護しますと、
「「言いたいこと」は無い、ですって?」
「文を作るときは「言いたいこと」を書きましょう、と学校で教わらなかったのか?」
「なんとダメな人なんだ。ああ、止んぬるかな、このひとは!」
と嘆かれる始末。
うう。わたしだって肝冷斎さえ逃げ出さなければ平和に読書しているだけで、こんな更新していなくてもいい立場なのに、なぜそんなにみなで責めるのか・・・。おもての仕事の世界でも複数方向からかなりきっつい攻撃を受けているし、いいことはカープのCS進出ぐらいしかない。・・・ということで拘泥斎もここまでか。