今日はクリスマス! ―――と言っているヤツはシロウト。今日12月25日は「接玉皇」の日(←ただし、旧暦で)でちたー! ・・・え? 「接玉皇」の日を知らない?
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まず明・謝肇淛「五雑組」巻二の次の記述を読んでみてください。竈神(カマドの神様)に関する記述です。
俗皆以十二月二十四日祀竈。謂竈神是夜上天、以一家所行善悪奏于天也。至是日、婦人女子多持斎。
俗にみな、十二月二十四日を以て竈を祀る。謂うに、竈神この夜天に上り、一家の行うところの善悪を以て天に奏す、と。この日に至るや、婦人女子多く持斎す。
一般に、各地方で、十二月二十四日にカマドの神様をお祀りする。ひとびとの言うところによれば、カマドの神様はこの日の夜に天に昇り、天の神様にこの一家の一年間為した善行・悪行を御報告するのだ、と。そこで、この日になると、一家の既婚・未婚の女性はそろって物忌みをするのである。
これはわたし(←肝冷斎にあらず、著者の謝肇淛さんである)の地元である浙江でも一般的なことである。ところで、わたし(←同前)は戊子の歳(1588)、十二月二十五日に姑蘇(蘇州)に出かけたが、この日、
蘇人家家焼楮陌茹素。無論男婦皆然。
蘇人家々に楮陌を焼き、素を茹す。男・婦を論ずる無くみな然り。
蘇州のひとたちは家々ごとに(天上で使うお金とされている)紙銭を天上に届けるために焼いてお祈りをし、精進ものを食べていた。男も女もわけへだてなくみんなそうである。
そこで訊ねてみた。
「おまえさんたち、なぜ今日十二月二十五日に紙銭を焼き、精進ものを食ってござるのじゃな?」
するとひとびとは答えて曰く、
昨夜竈神所奏善悪、今日天曹遣所由覆覈耳。
昨夜、竈神の奏するところの善悪、今日天曹のよるところを遣りて覆覈(ふくかく)すればなるのみ。
「もちろん、昨夜カマドの神様が報告した善行・悪行を、今日は天のお役所が人を使わして、再確認しに来るからじゃないですか」
と。
ああ。いにしえの人はかつて、「その奥に媚びんよりはむしろ竈に媚びよ」とおっしゃったが、カマドより天の方が大切である、という(孔子の)教えは、今でも生きているのだなあ。(笑)
・・・・・・・・・・・・・・これは「論語」の八佾篇の次のことばを踏まえています。
王孫賈問曰、与其媚於奥、寧媚於竈。何謂也。
王孫賈、問いて曰く、「その奥(おう)に媚びんよりは、むしろ竈(そう)に媚びよ」と。何の謂いぞや。」
衛の大夫・王孫賈が、亡命してきた孔子に対して言った。
「このようなことわざがありますよね。
―――(カマドの神さまは、カマドの前と、家の奥の隅と、二か所で祀ることになっていますが)奥の隅で祀るときにしっかりお祈りするよりも、(実際に火を使う)カマドの前でのお祈りをしっかりやる方が効き目がある。
これはどういう意味でしょうなあ。(衛公よりも実権を持つわたしを大切にする方がよろしいですぞ。)」
これに対し、
子曰、不然。獲罪於天、無所禱。
子曰く、然らず。罪を天に獲れば、禱るところ無からん。
先生はお答えになった。
「そのことわざはいかがでしょうか。間違っておりましょう。天に罪を得たなら、どこで祈ったからといって、もう効き目はありますまい。(わたしは自分の信ずるところにしたがうまででござるよ)」
かっこいい!・・・・・・・・・・・・
それにしても蘇州のひとたちは、
不修行于平日、而持素于一旦、竈可欺乎、天可欺乎。
平日に行いを修めず、素を一旦に持す、竈欺くべけんや、天欺くべけんや。
普段は好き放題に暮らしていて、一日だけ精進もので過ごす。こんなことで、カマドの神様が騙せるのだろうか。天のお役人が騙せるのだろうか。
なお、福建のひとたち(「閩人」)は
以好直言無隠者、俗猶呼曰竈公也。
直言を好みて隠す無きものを以て、俗になお呼びて「竈公」と曰う。
何でも正直に指摘し、すこしは誤魔化してやろう、としないひとのことを「カマドの神様」と呼んで煙たがる。
告げ口をするからである。
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以上が「五雑組」の記事で、これは江蘇地方のことであるが、同じ明の時代、北京の風俗を記した劉侗・于奕正の「帝京景物略」巻二にも、
廿五日、五更焚香楮、接玉皇。曰、玉皇下査人間也。竟此日、無婦媼詈声。
廿五日、五更、香楮を焚き、「接玉皇」す。曰く、玉皇、人間(じんかん)を下査すなり。この日を竟(お)うるまで、婦媼の詈声無し。
(十二月の)二十五日の深夜、お香と紙銭を焼いて、「玉皇さまの御接待」を行う。言うに、「玉皇さまが人間世界を調べに来られているのだ」と。この日は一日中、おんなどもも身を慎むので、怒鳴ったり罵る声が聞こえない。
とされていて、こちらは「天曹」(天の役人)ではなく、「玉皇」(天の皇帝)が御自ら人間世界に査察に来る、というのであるから、たいへんなことだ。暴れん坊将軍的なやつである。
それにしても、「おんなどもの怒鳴ったり罵る声が聞こえない」とは、まことにサイレント・ナイトでありますなあ。わはわはわは。