ふと「吹雪」が聴きたくなって聴いている。もう「吹雪」は吹かない、ということでいいのかな。代わりにじわじわと漏れ出す描けないものにコロされていく、ということでいいのかな。
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さて。
わしの二十年ほど連れ添った嫁御の聞氏がしばらく病の床についているうちに死んでしまったのは、咸豊六年(1856)のことであったが、そのころまだおやじどのはお元気であられた。
そのおやじどのが、死んだ女房、つまりわしのおふくろさまの夢を見たそうな。
おやじどのは夢の中でおふくろさまに訊ねた。
若亦知媳婦死乎。
なんじ、また媳婦の死せるを知れるか。
これ。おまえはあの世に行っているわけじゃが、そちらにいてもヨメ御どのが死んだことがわかっておるかな。
すると、おふくろさまはにこりと笑うて答えたという。
此是伊之福気。
これはこれ、伊(か)の福気なり。
そうそう、ほんとにあのひとはツイておられましたわね。
このこと、おやじどのが醒めてわしに教えてくれたのだ。
そして真顔で言う、
吾恐兵禍之将及浙也。
吾、兵禍の将に浙に及ばんとするを恐る。
わしが思うには、兵乱の禍いがこの浙江の地に波及するのではないだろうか。
「はあ・・・」
何を言うているのだろうかとそのときは怪訝に思い、しかし反論してもしようがないので「はいはい」と聞いておりました。
ところが、果たしてそれより一年を越えぬうちに、
賊遂犯金華。
賊、ついに金華を犯す。
反乱軍がなんと金華の地まで侵入したのだ。
「賊」とは史上に名高い太平天国軍である。
そのあとの二年間、賊どもは全浙江を荒らしまわった。
この間に
室家流離顛沛、死者九人。
室家、流離顛沛して死する者九人なり。
我が家も郷里から離れ、大混乱の中、親族のうちで死んだ者は九人を数えた。
皆草草殯殮、不能成礼。
みな草々に殯殮し、礼を成すあたわず。
しかも彼らは混乱の中ゆえもがりも葬送もほとんどされず、そのむくろは打ち捨てられてしまったのである。
そうなってからようやくおやじどのの夢解きは正当であったこと、我がヨメ御どのが早くに死んだのは、ほんとうについていたのだということ、をいずれも思い知った。
いにしえの周の御代には
有占夢之官、吉夢、噩夢、所占不一。
占夢の官ありて、吉夢、噩夢(がくむ)、占うところ一ならず。
夢占いのつかさがあったといい、よき夢、愕然とするマガ夢など、その導く予言は一通りでなかったという。
「占夢」の官は、「周礼・春官」によれば
占六夢之吉凶。
六夢の吉凶を占う。
(王のみた)夢を六種類に分類して吉凶のいずれの予兆であるかを占断する。
をつかさどる官職である。
「六夢」とは「正夢、噩夢、思夢、寤夢、喜夢、懼夢」をいう。(それぞれについて解説したいですがまたヒマになったら、にします。眠いんです。→「占夢」)
占夢の官の術は占断にとどまらず、冬の終わりに、王に吉夢を献上し、四方のかなたに悪夢をおいやらうこともつかさどった、という。さすればこれは人の心を操るの術でもあったか。
惜其術今不伝矣。
惜しいかな、その術の今に伝わらざること。
残念ながらその秘法は滅びて、今に伝わらない。
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清・陳子荘「庸間斎筆記」巻六より。
まことにひとの夢を差し替える術があるのなら、この悪夢を差し替えてくれ・・・と祈ってみたりして。