↓思い知らせてやろうぜ。

 

平成21年 6月18日(木)  目次へ  昨日に戻る

宋代のことである。

わたし(陳正敏というひと)の母方の親類に、耳にムシが入って出てこなくなったひとがいた。大地主で家財の豊かなひとであったが、

自謂必死、乃極其家所有、恣情耗蕩、凡数年、家業遂破。

自ら必ず死なんと謂い、すなわちその家の所有を極めて恣情に耗蕩し、およそ数年にして家業遂に破る。

「ああ、わしはもう必ず死んでしまうだろう」

と絶望して、その家の有する財産をすべて、ほしいままに遊蕩に使い、数年後にとうとう財産を尽くして破産してしまった。

債権者に自宅を追い出されて、以前の使用人の好意で小さな家を間借りしたのであるが、その家に入って数日したある朝、

虫出。

虫出ず。

ムシが、耳から出てきたのであった。

出てきたムシを確認したところ、

叩頭虫(こめつきばった)

であったという。

だいたい、耳に入る虫は

@蚰蜒(ユウエン)←ゲジゲジ大先生のこと。ゲジゲジには「入耳」という別名まである。

A壁虱(ヘキシツ)←ダニのこと。

B蛍火(ケイカ)←ホタルの成虫。

C叩頭虫←こめつきばった。こめふみむし、ぬかつきむし、トモ云フ。

D皀莢虫(キョウキョウチュウ)←調査中

のいずれかであるということだ。

さて、あるひと、ゲジゲジが耳に入った。

その症状のひどいときには、

不覚以頭撞柱、至血流不知、云痒甚不可忍。

覚えず頭を以て柱を撞き、血流に至るも知らず、云う「痒の甚だしきこと忍ぶべからず」と。

無意識に頭を柱にぶつけて血が流れるまでになっても気づかない。「とにかく、くすぐったくてかなわないのだ」と言っていた。

蚰蜒入耳、往往食髄。至冬、又能滋生。

蚰蜒耳に入るに、往往にして髄を食う。冬に至ればまたよく滋生す。

ゲジゲジが耳に入りますと、往々にして骨髄を食べてしまうことがあり、そうなればそのひとは死に至る。ただし、冬になると、(ゲジゲジの活動が止まるため)生き延びることができる。

そのひとが生き残ることができたのは何とかゲジゲジを耳から出すことに成功したからで、どのような方法を用いたかと問うに、

凡虫入耳者、惟用生油灌之為妙。

およそ虫の耳に入るもの、ただ生油を用いてこれに灌ぐを妙と為す。

ゲジゲジに限らず、だいたい虫が耳に入ったときは同じであるが、絞りたての(植物)油を耳の穴に注ぎいれることだけが妙法とされるのである。

ということであった。

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宋・彭乗「墨客揮犀」巻五より。

ただし、彭乗さんが言うには、

「もと陳正敏が徽宗皇帝の崇寧(1102〜06)・大観(1107〜10)年間に著わした「遯斎阯浴vに書かれていたことを丸写ししたのである」

ということである。

このHPでは滅多に無い役に立つ記事ですね。今日の記事はブックマークしておいて、耳に虫が入ったときにいつでも開けるようにしておくべきであろう。

 

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